令和元年5月1日(水)  目次へ  前回に戻る

多くのやる気無しドウブツたちである。ただしアナグマだけはときどき反発したりしてやる気を見せる。令和の新時代、肝冷斎もそろそろこの仲間入りだ。

今日の東京地方は天気予報雨でしたが、即位の儀の間は雨雲が消えて好天に恵まれました。不思議というより、当然のことだろう、とも思います。

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改元初日なんで、なんかそれに関すること言わなければ・・・。

えーと、「春秋」の書に、魯公が代替わりするごとに、「元年」というコトバが出てきます。これが「元年」とか「改元」に関する最初の記述で、その中でも一番最初出て来るのが「隠公元年」(前722)です。

春秋の古い三伝(左氏伝・公羊伝・轂梁伝)のうち、一番理屈っぽい「公羊伝」のみ、この「元」の意味について伝えてくれていますが、

元年者何。君之始年也。

元年なるものは何ぞや。君の始年なり。

「元年」というのは何ですかな? その君主の最初の年、ということじゃ。

と書いてあるだけで、では最初の年のことを何故「元年」というのか、という疑問への回答は、「公羊伝」には書かれていません。

では、後世の賢者たちはどうおっしゃっているのか。漢の大儒・董仲舒「春秋繁露」に曰く、

一者万物之始也。元者辞之大也。一為元者、視大始而正本也。

一なるものは万物の始めなり。元なるものは辞の大なるものなり。一、元と為すは、始めを大にし本を正すを視るなり。

一というのは、(最初の自然数であり)万物の始めである。元というのは、コトバとして「大いなるもの」を表す。「一」を「元」としたのは、始めを重大なものとし、根本を正そうという観点からである。

なるほど。三国の杜預「左伝注」には、

凡人君即位、欲其体元以居正。故不言一年一月也。

およそ人君の位に即くや、その元に体して以て正に居らんことを欲す。故に一年一月と言わざるなり。

君主たるものがその位につく時には、その根源を本体とし、正義の態度を取ろうとするものである。このため、「一年一月」とは言わず「元年正月」というのである。

宋の胡安国「春秋胡伝」には、

体元者人君之職、調元者宰相之事。

元に体するは人君の職にして、元を調うるは宰相の事なり。

「元」を体現しようとするのが君主の専任行為であり、「元」を調整するのが宰相の仕事である。

では「元」とは何かというと、

元即仁也。仁人心也。

元は即ち仁なり。仁は人心なり。

「元」というのは「仁」のことなんです。「仁」とは「ひとの心」のことなんです。

としております。

これらが、「元」の道徳的・哲学的意義を強調するグループといえましょう。

これに対して異見を述べたのが、宋の欧陽脩で、

人君即位称元年、常事爾。孔子未修春秋、其前固已如此。

人君の即位、元年と称するは常の事なるのみ。孔子のいまだ「春秋」を修めざる、その前もとよりすでにかくの如し。

君主が位のつくときを「元年」というのは(当時の)普通のことだったんです。(「春秋」は魯の国の公的記録をもとに孔子が編集したもの、と伝統的には考えられています(←これはマチガイです)が、)孔子が春秋の編集をする前から、「元年」という記述はそうなっていたので(別に深い哲学的意義があるのではないので)す。

蓋記事先後遠近以歳月一二数之、乃理之自然也。其謂一為元、亦未嘗有法。蓋古人之語耳。

けだし、事の先後・遠近を記すに、歳月の一二を以てこれを数うるは、すなわち理の自然なり。その一を謂いて元と為すは、またいまだかつて法有るにあらず。けだし古人の語なるのみ。

だいたい、事件のあとさき、むかし・近い時代、というのを記述するのに、年月を一、二・・・と数えていくのは、それこそ当然の理というべきでしょう。「一」のことを「元」と言ったのだ、というのに理屈があるわけではないんです。ただ、昔のコトバでは、「一番目」のことを「元」と言った、というだけのことなんです。

欧陽脩の学派に属する宋・徐無党が補強して言うに、

古謂歳之一月亦不云一而曰正月。国語言六呂、曰元間大呂。周易列六爻、曰初九。大抵古人言数、多不言一。不独謂年為元也。

古えに歳の一月を謂うにまた一と云わずして「正月」と曰えり。「国語」には六呂を言うに曰く「元間は大呂なり」と。「周易」には六爻を列(つら)ねて「初九」を曰えり。大抵、古人の数を言う、多く一を言わず、ひとり年を謂いて元とするのみならざるなり。

古代においては、一年の一月を謂うにもまた一と云わずして「正月」といった(一=正)。「国語」に六呂(六つの音階)について分析して、元になる律を「大呂」と言っている(一=大)。「周易」では六つの爻を並べて、最初の爻を(陽の場合)「初九」(陰の場合は「初六」)と呼ぶ(一=初)。だいたいのところ、いにしえのひとが数について言うとき、多くは一と言わないのだ。年数のときだけ(一と言わずに)「元」と言っているというわけではないのである。

なんだそうです。

こちらは「元」の歴史的・民俗学的意義を強調していると申せましょう。

みなさんはどちらの説を採りますかな。

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「春秋」隠公元年条より。「元年」だけでもいろいろ議論ができるんです。チャイナの賢者たちはすごいなあ。肝冷斎はめんどくさがりなので欧陽脩グループです。

さて、めでたい改元の陰で、肝冷斎は明日から修行の旅に出ることになりました。いろんな人から「能力が無いのは仕方なくてもやる気がないのはどういうわけか」と圧をかけられたあげく、

「新しい時代になるのだ、少しはやる気を持てるようにならないか、自分を見つめ直してくるのだ!」

と思い詰めたのです。だがしかしやる前から無理だろうという確信がある。おそらくこの修行の旅が永遠の旅になるのかも・・・?

 

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