平成31年2月21日(木)  目次へ  前回に戻る

「ウソばかりの世の中、ノロってやるでぶー」「でピヨ―」

また寒くなってきました。肝冷斎は昨日までよりさらに洞穴の奧の方へと入って行ってしまったみたいで、もう電波も届かないようですから、しばらく更新できないものと思われます。

・・・・・・・・・・・・・・

昨日、「衆口金を爍(と)かす」というコトバを紹介いたしました。

今日はそれを踏まえた警句をご紹介しましょう。

爍金之口、策善火攻。不知入火不焦者、有火浣之布。

金を爍(と)かすの口、策は火の攻むるを善とす。知らず、火に入るも焦(や)かれざるもの、火浣の布の有ることを。

口は(批判や讒言の形で)金属(のように堅い人間の信頼関係)さえも溶かすことができるという。相手を攻撃する最善の方法は、火(のように人の意志を溶かすもの)で攻めることなのだ。―――そんなことを考えているおまえさんは、火に入っても焼けない「火浣布」のあることを知らないのだ。

つまり、讒言で壊せないほど強い信頼関係だってあるのだ・・・というのがこの警句の言いたいことです。

しかしながら・・・

「火浣布」(かかんぷ)は、平賀源内が「これが伝説の火浣布ですじゃ」と言って「石綿」を紹介したので「石綿」のことだと思っているひとが多いのですが、もとはウソばっかり書いてあるので名高い「列子」湯問篇の、それも一番最後に置かれているお話に出てきます。

―――むかし、周の穆王が西戎(西の蛮族)を討伐した。西戎は降服して、二つの宝物を献上しました。一を「錕オ(こんご)の剣」といい、一を「火浣の布」という。

其剣・・・・・・。火浣之布、浣之必投於火。布則火色、垢則布色。出火而振之、晧然疑乎雪。

その剣は・・・(中略)・・・なり。火浣の布は、これを浣うに必ず火に投ず。布すなわち火色して、垢はすなわち布色す。火より出だしてこれを振るうに、晧然として雪かと疑わる。

その剣は・・・・・・・・なのです。火浣の布の方は、これを洗おうとすれば(水ではなく)必ず火の中に入れなければなりません。そうすると、布は火に熱せられて真っ赤になりますが、そこから布の表面の汚れた部分がさっきまでの布の色になって浮き出してきます。火から出して、ぶるぶると振るうと、(アラ不思議)布は白く輝いて、まるで雪かと見えるばかりとなるのです。

「錕オの剣」もオモシロいのですが、長くなりますので、またいつの日にかご紹介します。

さて、この話を、後の周の王子さまがお聞きになった。

皇子以爲無此物、伝之者妄。

皇子、以爲(おもえ)らく、この物無からん、これを伝うる者の妄なり、と。

王子さまは、「そんな物あるはずないでしょう。そんな話を話しているひとの妄想ですよ」とお考えになった。

これに対し、

簫叔曰、皇子果於自信、果於誣理哉。

簫叔曰く、皇子、自信に果にして理を誣するに果なるかな、と。

お傅役の簫叔が言った。「王子さまは、自分のこうとお信じになられていることを断定するのに勇気がおありですが、自然科学を間違いだと断定するのにも勇気がおありになりすぎますなあ」

これは、ウソばっかりの列子・湯問篇の一番最後に、「ここまでの話はウソだと思うでしょうけど、もしかしたらホントのこともあるかもよ」と言いたいために置かれたコトバで、これも絶対ウソなんです。すなわち火浣布なんて現実にはありません。だけでなく、こんな皇子さまも簫叔というひとも全部ウソなんです。

上の警句には続きがあります。

潰川之手、勢慣波及。不知入水不濡者、有利水之犀。

川を潰(こわ)すの手、勢は波の及ぶに慣る。知らず、水に入りて濡れざるもの、利水の犀の有ることを。

数を恃んで実力行使し、堤防を壊すやつらがいる。水の流れを利用して、敵を水攻めにしようとするのだ。―――同じように考えているおまえさんは、水の方から避けていく「利水のサイ」というドウブツがいることを知らないのだ。

数を恃んで敵を攻撃しようとしても、そんなことに負けない相手もいるのだ・・・ということが言いたいみたいです。

「利水の犀」晋・顧微「広州記」に出るドウブツで、

平定県巨海、有水犀。似牛、其出入有光、水為之開。

平定県の巨海に水犀有り。牛に似て、その出入に光有り、水これがために開く。

南国の広州平定の地には大きな海がある。ここに水棲のサイがいて、形はウシに似ているのだが、水から出たり入ったりするときにこのサイが光を放ち、そのため水が二つに割れて、サイは歩いて移動するのである。

と書かれています。

しかし、こんなドウブツいるはずがないではありませんか。したがって、こちらもウソです。

火攻めに強い火浣布も、水攻めに強い利水の犀もウソなんです。数を恃んで批判してきたり実力行使してきたら、守ることなんてできないのだ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・

明・呉従先「小窗自紀」第109則。肝冷斎が山の中へ中へ、洞穴の奧へ奧へと隠れていってしまう理由も、わかろうというものではございませんか。

 

次へ