平成31年2月14日(木)  目次へ  前回に戻る

串になった花見だんごを与えられると、落下確実なナマケモノがきわめて危険となるようである。とはいえ、まだまだ花見団子の心配をする季節ではないようだ。

今日も寒かった。予報では明日も寒いらしいですが、来週は暖かくなるらしい。ということは、寒い間は寝ていれば過ぎてしまうであろうから、次に目を覚ましたらもう春では・・・と思うのですが、天気予報があてになるのであろうか。

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唐末に読書人上がりながら卑劣な策略と残虐な手法で出世した朱温は、朱全忠と名を替えてから、大恩ある唐朝を滅ぼして後梁を建てたひとで、史上かなり評判が悪い人物ですが、

既貴、迎致其母、封晋国太夫人、因置酒上寿。

既に貴にして、その母を迎え致し、晋国太夫人に封じて因りて酒を置きて寿を上(たてまつ)る。

だいぶんエラくなって(節度使になった後)、おふくろさんを迎えて、晋国太夫人という高い身分につけ、そのお祝いにお酒を出して宴会を開いた。

席上、朱温は言った。

朱五経平生読書、不登一第。有子為節度使、無忝先人也。

朱五経、平成読書するも一第に登らず。子有りて節度使と為る、先人を忝(はずかしめ)ず。

「朱五経さんはいつも書物を読んで勉強しておられたが、一度も試験に受からなかった。ところがその人に子どもがおって、とうとう節度使にまでなったのです。死んだ父親に恥じるところのない子どもといえましょう」

「朱五経」というのは、朱温のおやじのあだ名だったのでしょう。科挙の必須科目である詩・書・礼・易・春秋の五経のことばかり頭にあった実直でがり勉なおやじさんだったのだと思われます。

その子の自分は一定の地域では皇帝と同じ権力を持つ節度使にまで出世した。おかあさん、ほめてください、という素直なキモチだったのではないかと思いますが、おふくろは

惻然曰、汝能至此固英特、然行義未必如先人。

惻然として曰く、汝よくここに至ること、これもとより英特なり、しかれども行義いまだ必ずしも先人の如からず、と。

悲しそうな顔をして言ったのであった。

「おまえはよくここまで出世した。ほんとに立派なことじゃ。けれど、人としての振舞い方は、どうもお父さんにはかなわないようだねえ」

「なんだと、くそばばあ」

とキレてしまっておかしくありません。朱温がこの後、主君である唐王朝を滅ぼしてしまう大逆人になってしまったのは、おふくろにこんなこと言われてキレたからかも知れません。

しかしながら、後世の史家は、このおふくろのコトバを引いて

賢哉斯言。

賢なるかな、斯(こ)の言や。

なんという考え抜かれたコトバでしょうか、このコトバは。

と称賛しております。

我が宋朝の初代・太祖皇帝さまが、かつて懐刀の趙普さまにご質問されたことがあった。

天下何者最大。

天下何ものぞ最も大なる。

「この世の中で最も勢威の大なるものはなんであろうか」

趙普どのは答えた、

道理最大。

道理最も大なり。

「最も勢威がございますのは、「道理」でございましょう」

「なるほど」

上深以爲然。所以定天下垂後世者、莫不由之。

上深く以て然りと為せり。天下を定めて後世に垂るる所以のものは、これに由らざること莫(な)けん。

皇帝さまは深くうなずかれて、そのとおりだと考えられたそうである。乱世を平定し、子孫にまで王朝をお伝えになられた理由は、道理を尊重するこのおキモチによるものであること、間違いないであろう。

一方、

温以区区詐力、徼幸之功、欲驕其先君子、婦人亦知其可羞也。

温は区区の詐力、徼幸(きょうこう)の功を以て、その先君子に驕らんと欲し、婦人またその羞ずべきを知れり。

朱温のやつはこまごましたウソをつき、運よくうまい具合に手柄を立てただけなのに、自分の亡くなったおやじさんより自分がえらいと誇ろうとし、女性(のおふくろさん)でさえそれが恥ずかしいことだというのを認識していたのである。

聞其風者、箪瓢当有立。

その風を聞く者、箪瓢といえどもまさに立つこと有るべし。

この(おふくろさんの)倫理観を耳にしたものは、たとえゴロゴロ転がっているだけのひょうたんだって、立ち上がって気をつけをしたことであろう。

ほんとかなあ。

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宋・李季可「松窗百説」より。ひょうたんが立ち上がるはずもありませんが、「朱温はおふくろさんにまで軽蔑されていたのだ」ということはおそらく無かったんじゃないでしょうか。チャイナでは「後世の歴史家」の言っていることは、長期予報の比で無しに、全くあてになりませんからね。

 

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