平成31年2月3日(日)  目次へ  前回に戻る

マメをまかずに食らう豪放なぶたとのの勇姿だ。

今日は節分ですが、洞穴でドウブツたちと、ニンゲンの定めた暦とは関係なく冬眠中ですので、節分とは関係ない話をいたします。

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今はもう佚失していますが、唐の時代には「敦煌実録」という本があって、当時敦煌で活躍したひとたちのことが書かれていたそうなんです。

これに王樊という人が出てきます。出てきますが、出てきたときには死んでいます。

王樊卒、有盗開冢。

王樊卒し、盗有りて冢を開く。

王樊が死んで葬られたあと、墓盗人が入ってその墳墓に忍び込んだ。

王樊は墓荒らしが入るような立派な墳墓を造ってもらったひとなので、エラいひとだということはわかるのですが、それ以外のことはよくわかりません。

さて墓盗人が灯をともしながら墓室に入って行ったところ、

王樊与人樗蒲、以酒賜盗。

王樊は人と樗蒲(ちょぼ)をなし、酒を以て盗に賜る。

王樊は(生きていて?)誰かと花札賭博をしていたが(、盗人が入っていくと「よく来た」と言って)、盗人にも杯を回し、酒を注いでくれた。

豪放なひとであった。

「樗蒲」は正確には花札賭博ではありませんが、どんなものか考証しはじめるとすごくめんどくさいので、「花札みたいなもので賭け事をしていたんだろうなあ」と思って読み流してください。

盗人は墳墓の中で生きているように豪放に振る舞っている死者を見たことがなかったので、

惶怖飲之。

惶怖してこれを飲む。

恐れおののきながら、注いでもらった酒を飲んだ。

そのとき、

見有人牽銅馬出冢者。

人の、銅馬を牽きて冢を出る有るを見たり。

誰かが青銅製の馬を牽きながら、墓から出かけていくのが目に入った。

(どこに行くのだろう・・・)

と思いながら、奨められた杯を干したところ、急に目の前が暗くなり、気を失ってしまったのであった。

・・・翌朝、気がつくと盗人は墳墓の前に倒れており、王樊の墓の入り口は、何事も無かったかのように閉じられていた。ただ、青銅製の馬が一頭、墓の脇から頭を半分のぞかせていた。

朝になっては仕方ないので、

盗既入城。

盗、既に入城す。

盗人は何食わぬ顔で城内に戻った。

ところが、

城門者乃縛而詰之。

城門者、すなわちこれを縛りて詰す。

城門の衛士に捕らえられ、縛り上げられて、「おまえが墓荒らしか」と訊問された。

「いったいどうしてわかったんですか」

と問うと、衛士は、

夜有神至城門、自言是王樊使、今有人発冢。以酒墨其脣。旦至可以験而擒之。

夜、神の城門に至る有りて、自ら言うに、「これ王樊の使いなり、今人有りて冢を発す。酒を以てその脣を墨す。旦至れば以て験してこれを擒らうべきなり」と。

「夜中に精霊が城門にお見えになられて、おっしゃったのだ。

―――わしは王樊の使者である。今、誰かが王樊の墳墓を荒らしておるが、酒を飲ませてそのくちびるを黒くしておくので、朝になったらチェックして捕まえるとよろしい。

と」

盗人は気づいていなかったが、その口の周りは墨を塗られたように真っ黒になっていたのである。

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唐・李冗「独異志」巻上所引より。墓荒らしはいけませんね。

古墳好きなんで今日も古墳見に行ってきましたが、スマホ忘れたしデジカメ電池切れで写真撮れませんでした。古墳見に行って王樊みたいなひとが出てきたらコワいが、上総あたりは昭和40年〜50年代にたいてい開発で滅失しているので、そんなやついてもそのとき滅んでいると思うので、大丈夫です。

 

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