平成31年1月27日(日)  目次へ  前回に戻る

比較的善のネコとして設定したナアナア猫だが、ニャワバリ争いでは悪の一面を見せる。血圧も高くなっているようである。

洞穴の中で冬眠しているうちに数日経っていたようです。起きだして、スマホで岡本全勝さんのHP見ていたら、300万人目のキリ番取ってしまった!

ところで、冬眠中に血圧の薬を飲むのを忘れていました。

・・・・・・・・・・・・・・・・

宋の時代のこと、うちの父上(←肝冷斎のおやじにはあらず)から聞いたことだが、かつて洛陽の町に劉某という医師がいたのだそうである。

黄帝八十一難経

という医書があって、難しい症状に対する投薬の方法が書いてあるのですが、この本自体が難しいので有名で、何人かの先人が注釈をつけてくれたのだが、劉師は自分の経験と照らし合わせて、

病註者失其旨。

註者のその旨を失えるを病(なや)む。

注釈者たちの注釈が、どうも「黄帝八十一難経」の主旨を誤っている、と憂えていた。

そこで、ついに、

自爲解献于闕下。

自ら解を為(つく)りて闕下に献ず。

自ら解説書を出版して、宮中にも献上した。

また、

為人講説、自号曰劉難経。

人のために講説し、自ら号して「劉難経」と曰えり。

その書をもとにひとびとに講義もし、自ら(黄帝難経を知り尽くした)「劉難経先生」と号していた。

という理論的にもすばらしいひとだったのですが、

其治疾察脈、無隠不知。

その疾を治し脈を察するに隠せども知らざる無し。

その治療に当たって脈を計って病状を診るのだが、患者本人が隠していることでもわかってしまうのであった。

実務家としても優秀だったんです。

肘後有二薬奩、止薬末数品而已。

肘後には二薬奩(れん)有りて、ただ薬末数品のみ。

いつも提げているのは二つの薬箱で、その中には粉末にした薬が数種類入っているだけであった。

そして、

毎視人病、旋取諸末合和加減、分為剤料。

人の病を視るごとに、旋(たちま)ち諸末を取りて合和加減し、分じて剤料と為す。

診察するとただちにそれぞれに粉末を取り出し、それを合わせ、加えたり減らしたりし、それからそれを毎回の服用量に分けた。

他日再至、病未癒、曰此薬服不如数耳、所余当有幾。

他日再び至りて病いまだ癒えざれば、曰く、「これ薬服の数に如かざるのみ、余るところまさに幾ばく有るべし」と。

何日かして再診に来て、まだ病気が治っていないと、

「それは薬の服用量が足らないだけですじゃ。きっと〇〇回分の薬がまだ残っているじゃろう?」

と言うのである。

すべてそのとおりで、

人不能欺。

人欺くあたわず。

誰も誤魔化すことはできませんでした。

なのだそうです。

後以老終。

後、老を以て終えたり。

その後、老衰して亡くなった。

病気では死ななかったんですね。

この劉医師には高血圧薬飲むのを忘れたらすぐばれてしまうのでしょう。しかし冬眠中のことですから仕方ないと思います。

・・・・・・・・・・・・・

宋・王洙「王氏談録」より。王洙は山西・太原のひとだそうですが、彼が北宋末ごろに、おやじやらおじきやら祖先やら自分やらの体験したことや著名人のエピソードやらをメモした、と思われるのが「王氏談録」です。家塾にある書物の一覧(かなりある)なども出てくるので、児孫に言い伝えたくて書いたものなのでしょう。勝手に後世のわたしなどがニヤニヤしながら読んでしまってこんなところで紹介したりして申し訳ないカモ知れません。

 

次へ