平成30年10月24日(水)  目次へ  前回に戻る

世界を無気力が支配するとき、モグ、ナマケモノ、コアラなどのやる気無しドウブツが現れるという。

あたまふらふらする。熱があるみたいです。やる気無い。ああもうダメだー。

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昨日、李白が卒するに当たって「臨終歌」をうたった、という記述がありました。どんな歌なんだろう、気になるなー、とみなさん思ったことでしょうなあ。

ところが、「李太白全集」などをひっくり返しても「臨終歌」というのは出てきません。

代わりに「臨路歌」というのがあって、「路」の字は「終」の字と間違いやすいので、これが「臨終歌」ではなかろうか、といわれております。

その歌に曰く、

大鵬飛兮振八裔、 大鵬飛びて八裔に振るうも、

中天摧兮力不済。 中天に摧けて力済(すく)わず。

 でっかい鳥が舞い上がり、ハア、八方の果てまで羽を振るって飛んだが、

 空の途中でくだけてしまい、ハア、力を尽くしてもそこまでじゃった。

これは自分のことを「大鵬」だと譬えているんです。大鵬のような天才のわしもここで倒れるのじゃ、ということです。

なお、訓読に現れない「兮」(けい)を囃子言葉として「ハア」と訳しております。

されど、

余風激兮万世、  余風激すること万世、

遊扶桑兮挂左袂。 扶桑に遊びて左袂を挂く。

 そのときの風は時代を超えて、今もひとびとを感激させている。

 東方にある巨木=扶桑のあたりまで飛んだので、その時引っ掛けた左袖がまだ遺っている(そうな)。

後人得之伝此、  後人これを得てこれを伝うるも、

仲尼亡兮誰爲出涕。仲尼亡ければ誰かために涕を出ださん。

 未来のひとびとは、その袖を見て、その鳥のことを言い伝えるだろう。

 けれどもう孔子はいないのだ、ハア、いったい誰が涙を流してくれるだろうか。

「仲尼」は孔子さまの字。孔子がかつて涙を流した相手というのは、何者であろうか。

「春秋」に曰く、

(哀公の)十有四年、春、西狩獲麟。

十有四年、春、西狩して麟を獲たり。

哀公の十四年(前481)の春、西の方で狩りをして、キリンを捕まえた。

「左氏伝」にこれを解説して曰く、

西狩於大野。叔孫氏之車子鉏商獲麟。以爲不祥以賜虞人。仲尼観之曰、麟也。然後取之。

西のかた大野に狩りす。叔孫氏の車子鉏商(しゃししょしょう)麟を獲たり。以て不祥と為して以て虞人に賜う。仲尼これを観て曰く「麟なり」と。しかる後、これを取れり。

「大野」というのは、今も山東に「巨野」という地名が遺っているのだそうですが、大きな「沢」(湿地)の名前だそうです。「車子鉏商」には二説あって、「車の子鉏商(ししょ・しょう)」と読んで「車係の子鉏商という者」と解するか、「車子の鉏商(しょ・しょう)」と読んで「車係の鉏商という者」と解するかの争いがあるのですが、ほとんど意味は変わらないのでどちらでもいい気がします。

魯の国の都の西の方に広がる大野沢の地で狩猟を行った。このとき、大貴族の叔孫氏の馬車を管理する子鉏商という者が、キリンを捕まえた。しかし、(見たこともないドウブツであったので)「これはキモチ悪いな」と思って森林管理人に下げ渡してしまった。孔子はそれを見に来て、「これはキリンだ」と言い、これを記録させた。

「左氏伝」によれば、淡々と記録させただけのようですね。

しかし、別の伝である「公羊伝」を閲しますと、

麟者仁獣也。有王者則至、無王者則不至。

麟なるものは仁獣なり。王者有ればすなわち至り、王者無ければすなわち至らず。

キリンというのは仁あるドウブツである。天下を(徳を以て支配する)王者が治めていると出現し、王者がいないときは出現しないものなのだ。

ところが、乱世にそれが現れたのだ。しかも死んでいるのが見つかった。

有以告者曰、有麏而角者。孔子曰孰爲来哉、孰爲来哉。反袂拭面、涕沾袍。

以て告ぐる者有りて曰く「麏(きん)にして角有るもの有り」と。孔子曰く「孰(たれ)のためにか来たるや、孰のためにか来たるや」と。反袂して面を拭い、涕、袍を沾(うるお)す。

孔子のところに報せに来たひとがいた。

「先生、大きなシカのような形をして、角のあるドウブツが見つかりました。(いったい何でしょうか?)」

孔子はそれを聞いて、

「(王者はいないのに)いったい誰のために来たのだ、いったい誰のために来たのだ。(わしと同じで居合わせてはならぬ時代に現れてしまったのだ)」

そして、たもとをひっくり返して顔を拭いた(。泣いておられたのだ)。涙が上着を濡らした。

と書いてありました。

わーい、やっと、孔子さまが涕を流した相手は「キリン」であった、ということが確認できました。やっと眠れるー。

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今日もまた夜更かししてしまいました。わしはダメ人間だなあ。これに対し、自分は「大鵬」であり、孔子が涙流した麒麟である、と、六十過ぎても自信にあふれる李白さまは、やはりすごい方であるのだ。

 

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