平成30年9月16日(日)  目次へ  前回に戻る

休みの日は水族館にでも行ってみるといい。水族どもが平日も休日も働かずにうだうだしてばかりいるのがわかり、もっと休んでもいいのだ、ということが理解できる。

わたくしどもの誠意が天に通じたのか、今日もお休みで、しかも明日もお休みである。このままずっとお休みが続けば、肝涼斎も堂々と生きていけそうだぞ。

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唐の代宗皇帝(在位762〜779)のとき、長安一帯はひどい旱害に襲われたことがあった。

京兆尹(首都長官)の黎幹

于朱雀門街造龍、召城中巫覡舞雩。

朱雀門街に龍を造り、城中の巫覡を召して舞雩(ぶう)す。

(四神のうち朱雀が日照を司ることから)市内南部の朱雀門筋の街に、(龍が雨を司ることから)土製の巨大な龍の像を造り、長安中から男女のシャーマンを集めて来て、ここで雨乞いの踊りを踊らせることにした。

その踊りの日にはものすごい人数の観衆が観に来たのですが、その中で、

幹与巫覡更起舞。

幹、巫覡とともにさらに起ちて舞う。

長官の黎幹まで、シャーマンたちの中に立ち混じってひと踊りしたのであった。

何とか雨を降らせるためには、政府高官である自分が踊らなければ誠意が龍に通じないのではないか、と誠実に考えたようですが、

観者駭笑。

観者駭(おどろ)き笑えり。

観衆はびっくりし、そして大笑いした。

そして、これほど恥をかいて努力したというのに、黎幹の誠意は通じなかった。

経月不雨。

月を経るも雨ふらず。

一か月ぐらいしても雨は降らなかったのである。

そこで黎幹は、今度は

請祷于文宣王。

文宣王に請祷す。

「文宣王」は孔子に唐の朝廷が贈った諡号です。

孔子のみたまやで雨乞い祭りを行うことにした。

・・・皇帝はこのことを聞くと、「うーん」と考え込んで、おっしゃった。

丘之祷久矣。

丘の祷(いの)ることや、久し。

(孔子は、病気のとき、弟子たちが回復を祈って神々を祀ったということを聞いて、)

「丘(孔子の名前)はずっと前から祈り続けているぞ」

(と言われたではないか)

このコトバは「論語」述而篇にあります。祈願のあるときにだけ神々を祀るようなことはしなくてもよい。形而上のモノに対して、わしはずっと敬意を抱き、自分のシゴトを見守っていてくれと祈ってきているのだ・・・というような美しいコトバです。

皇帝はこのコトバを引いて、@孔子さまに雨乞いのようなご利益を祈ってもしようがないだろう、ということと、A自分も以前から形而上のモノに祈ってきているのだ、ということを言いたかったのでしょう。ただちに、

命毀土龍、罷祈雨、減膳節用、以聴天命。

命じて土龍を毀(こぼ)ち、祈雨を罷めしめ、膳を減じ用を節し、以て天命に聴(まか)す。

勅命を出して、朱雀門街の土の龍を壊させ、雨乞いの祈祷を止めさせた。そして、自分の毎日のご飯のおかずを減らし、その他いろんな節約をして、あとは形而上の存在である天に任せることにした。

すると、

及是大霈、百官入賀。

ここに及んで大いに霈し、百官入賀せり。

間もなく大雨が降り、もろもろの官僚たちは宮中に祝賀にやってきたのであった。

よかったですね。

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「唐語林」巻三より。もともと「盧氏雑説」という書物に書かれていることらしいです。ずっと続く日照りは無い、ということなのだ。われわれ肝冷斎一族がどれほど天に祈っても、やがては「シゴトさせたい派」や「シゴトするべき派」の方の祈りが天に通じて、いつかはお休みも終わってしまうのであろう。おそろしいことである。

 

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