平成30年7月30日(月)  目次へ  前回に戻る

悪のブタ・ぶたデビルにも追随者が現れたようである。ああ、悪とは何なのであろう。善とは何なのであろうか。(時には、ブタにも分かるぐらい誠実に考えてみよう)

本日は平日であるのに休むというたいへんな悪を成し遂げた。身分でも権限でもなく「その場にいた」か否かで仲間意識を確認しあう日本型社会においては、会社にいなければ家族とか学校とか町内会とかどこかにいなければならないこととされているのに、家で午後までゴロゴロして下剤を飲んでいたのであるから、高レベルの悪である。

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「悪いことはしてはいけません。善をしなければならん」と言う。

では「善」とはどんなことか。一から考えるとめんどくさいので、賢者のコトバを借ります。

善乃人性之固有、人之所当為。

善はすなわち人性のもとより有する、人のまさに為すべきところなり。

「善」とは、すなわちニンゲンの本心が本来的に保有しているもので、ニンゲンが為さねばならないこと、のことである。

と来ました。具体的にどうしろ、というより、「自分の胸に訊ねてみよ」というのである。

宋の張南軒曰く、

爲己者、無所為而然者也。

己の爲にする者は、為にするところ無くして然る者なり。

自分のためにする、ということは、何かをしようと意図してするわけで無しにそのようになる、ということを言うのである。

この南軒先生のコトバは、「論語」憲問篇

子曰、古之学者爲己、今之学者爲人。

子曰く、いにしえの学者は己れのためにし、今の学者は人のためにす。

先生がおっしゃった。「むかしの学びびとは自分に何かを得ようとして学問したものである。今のやつらは他人に認められようとしてやっとるだけではないか」と。

解説になっています。

南軒先生・張栻はしばしば「朱子の友人」の一語で紹介されてしまいますが、同時代人的には南宋主戦派の大立者・張逡の子で、政治的にも学問的にも一派を為しつつあった・・・んですが、惜しいかな四十代半ばで亡くなってしまった(1135〜1180.なお朱子は1130〜1200)。その学は胡五峯らの学統を継いで、動いて後の省察を重んじ、当初、静時の涵養に重きを置いていた朱晦軒とは思想的には齟齬をきたしていたんですが、晦庵が「涵養と省察」をふたつながら兼ねることを主張し、南軒もそれに同意することで止揚された、という関係になります。

また、漢の董仲舒が曰く、

正其誼不謀其利、明其道不計其功。

その誼を正してその利を謀らず、その道を明らかにしてその功を計らず。

そうすべきかどうかは正すが、それで利益があるかどうかは考えない。それが道に適合しているかどうかは明確にするが、それでどんな功績があげられるかは問題にしない。

「漢書」にも出てくる有名なコトバです。

十二世紀の南軒先生もさらに千数百年前の董仲舒先生も、いずれも、客観的な基準があるわけでなく、自分の心に聴いてみなければならん、と言っておられのです。

さて、

此南軒・董子心術之正也。不然、是以私意為学、固已与道離矣。

これ南軒、董子の心術の正しきなり。しからずんば、これ私意を以て学と為す、もとよりすでに道と離る。

これらのコトバは、南軒先生や董仲舒先生の心の持ち方が正しいから、成り立つのである。そうでないなら、自分ひとりの考えを「学問」だと主張することになり、それはもう道とは乖離してしまっていることになるのである。

うーん、なるほどなあ。納得した。つまり、「心術」(心の持ち方)を正しくすれば善になるんだ!

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明・胡居仁「居業録」巻一より。納得しないと、トートロジーになってしまって次に進めません。儒学は「実践の手法」なのであんまり理論的に考えてはいけないんではないか、と思うんです。次に行ってみて間違っていたら「すみませんでした」と過ちを知って改めればいいのだ、という考え方なんではないかなあ。ほとんどの儒者は自分の過ちを認めないでしょうから、客観的基準にはなりませんが。

張南軒先生は政治家でもあり用兵家でもあるのですが、飄然たる詩人哲学者でもあるんです。

先生曰く、

心本虚、理則実。 心はもと虚、理すなわち実なり。

応事物、無轍跡。 事物に応ずるも轍跡無し。

 心はもともとうつろなもの、理(すじみち)だけが実在している。

何らかの事態に対応したあと、(心には)わだちも足跡も残らない(はず)。

来不迎、去不留、 来たるも迎えず、去るも留めず、

彼万変、我日休。 彼は万変するも、我は日に休まん。

 未来のことを予測することなく、過去のことに滞ることもなく、

対象はどんどん変化していっても、こちらはいつも気楽にやるぞー。

行斯通、険可済。 行けばすなわち通じ、険も済(わた)るべし。

孚豚魚、貫天地。 豚魚(とんぎょ)の孚(まこと)は、天地を貫かん。

 堂々と行けばたどりつけるだろう、険しいところも通り抜けられるだろう、

 「豚魚の誠意」は天地をも貫くものだから。

「豚魚の誠意」は「易」「中孚」の卦の卦辞に出てくるコトバです。「中孚」は上が巽☴、下が兌☱、という卦で、重ねると真ん中に陰が二つ入って、中が空っぽになっている姿になります。ここに誠意が入る、というので「中孚」(中、符(まこと)あり=内心の誠実)という卦になります。

その卦辞(卦の説明文)に「豚魚」(とんぎょ)が出てくるんですが、「豚魚」には@ヨウスコウイルカ、Aブタと魚、という二説があり、また豚魚は「孚(誠)」のア)主語か、イ)目的語か、でも説が分かれます。わたしは@のア説派なんですが、ここは張南軒が依拠したであろう北宋・程伊川「伊川易伝」に沿ってAのイ説で読みますと、

中孚、豚魚吉。  中孚は、豚魚の吉なり。

(程氏)ブタは騒ぎ立て、魚は何も感じない。彼らにまで通じるような「内心の誠実」さがあれば、吉である。

彖辞に曰く、

豚魚吉、信及豚魚也。利渉大川、乗木舟虚也。 

豚魚の吉は、信の豚魚に及べばなり。大川を渉(わた)るに利ありとは、木舟の虚ろなるに乗ればなり。

(程氏)信頼がブタや魚にまで及ぶようなら、信頼の道も行きつくべきところまで行ったといえよう。だから吉なのである。中が空っぽな様子で険阻な大川を渡るには、木でうつろ船を作ってこれに乗って川を渡ればうまくいく。舟は空っぽであれば沈没したり転覆したりしない。この卦の中が空っぽである姿は、うつろ船のすがたである。

るのに利益がある。

南軒先生は、これを踏まえて言ってるんです。最後もこれを踏まえると理解できます。

曷臻茲、在克己。 なんぞ、茲(ここ)に臻(いた)れるや、己に克つに在り。

去其窒、斯虚矣。 その窒(ふさ)がるを去れば、すなわち虚ならん。

 どうやったら(ブタや魚に誠意が伝わる)その境地まで行けるのだろうか(と考えてみると)、自分を克服することが必要だ。

 何か塞がっているもの(が自分の中にあるのだが、それ)を(克服して)取り除けば、そのまま(君の心は)空っぽになるだろう。

これは弟子の苑フ仁が書斎を作って「虚舟斎」(うつろ舟の書斎)と名づけたのに、贈った「虚舟斎銘」「南軒集」巻三十六)。かっこいい! 今日はサボって下剤を飲みながらこんなのを読んでいたのである。そして午後は大腸検査に行ったのである。

終了後、巣鴨・板橋あたり、中山道をふらついて来ました(ような気もするが、鎮静剤によるマボロシであるかも知れないので、サボった証拠にはならんぞ)。

夏の空はいつもなんだか懐かしい。永久に変わらない、と思っていたものがどんどん過去のものになっていくのに、それだけは同じ色だからであろう。

 

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