平成30年7月22日(日)  目次へ  前回に戻る

真の悪、ぶたデビルの登場である。ひよこを攻撃するなど、その悪は背筋が凍りつくほどだ。

今日も暑かった。暑いと魔法が解けて、ぶたの姿に戻ってしまいがちなので困ります。まあ会社は辞めてるんで会社でぶたになってしまう心配は無いんですが、とんかつ屋などでぶたに戻ってしまうとひどい目に会いますでぶー。世を逃れるしかないでぶー。

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・・・いやあ、今日も寒かったですなあ。まさか黄河と長江をつなぐ大運河が凍ってしまうとは。

千里長河初凍時、 千里の長河、初めて凍るの時、

玉珂瑶佩響参差。 玉珂、瑶佩、響くこと参差(しんし)たり。

「珂」(か)は馬のくつわにつけた飾りのこと。それが玉で出来ているのは、富貴のひとの騎る馬なのであろう。「瑶」(ヨウ)は玉の特に美しいのをいう。これを「佩」(はい)している、すなわち帯に帯びているのが「瑶佩」である。「参差」(しんし)は「詩経」に現れる古いオノマトペで、長短不ぞろいのものが入り混じっている様子をいいます。

 千里もある長い運河が凍り始めた時間には、

 あちこちで、馬のくつわの玉飾りや、帯にぶら下げた玉が、触れ合って鳴る(ような)音が、入り混じって響きあっていた。

キシキシと鳴っていたのでしょう。これは唐の大中二年(848)冬十一月の実景です。

ああ。

浮生恰似冰底水、 浮生はあたかも冰底の水に似て、

日夜東流人不知。 日夜東流するも人知らず。

 われらのこの人生は、まるで氷の下の水のようではないか。

 昼も夜も東に流れているのに、ひとはそれを知らない。

「荘子」刻意篇に、

聖人之生也天行、其死也物化。・・・故無天災、無物累、無人非、無鬼責。其生若浮、其死若休。

聖人の生や天行にして、その死するや物化なり。・・・故に天の災いする無く、物の累する無く、人の非(そし)る無く、鬼の責むる無し。その生や浮かぶがごとく、その死するや休むがごとし。

聖なるひとは、生きている間は天のように健やかに自由で、その死は自然に物質に還るだけのものである。・・・それ故に、天に災いを降らされることは無いし、物に捉われて煩わしい関係を持つことは無いし、他人に非難されることも無いし、死者や精霊から責められることも無いのである。その生き方は水に浮かんでいるようにこだわりが無く、その死ぬのはまるで休息するかのようなのだ。

という有名な一節があり、「浮生」というのはもともとは、聖人の自由ですばらしい生き方をいうコトバなんですが、後世の詩人らは「不安定でいつ消えていくかわからないような人生」という意味で、このコトバを使っているんです。

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今日は少し涼しいキモチになってもらおう、と思って↑をご紹介しました。唐・杜牧「汴河阻凍絶句」汴河にて凍れるに阻まる、絶句)。エアコン16℃ぐらいにしたらこんな感じになるカモ。ともあれ、この不安定な「浮生」を自由な生き方に換えてしまうには、手っ取り早く世を逃れてしまうべきかと思われてならぬ。

 

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