平成30年4月7日(土)  目次へ  前回に戻る

今日も大量に焼かれるぶたパン。流通過程に入るのは一部だけでほとんどが自家消費される。ハタラクことは苦手でも自家消費のためならばハタラクしかない。

土曜日ですが、明日はシゴトなんで、もうツラい。ほんとにハタラクことが苦手なんです。

そういえば世間では「働き方改革」が唱えられていますが、改革するのも苦手なんで、「昔のひとの仕事のやり方を踏襲する方がいいはず」という保守的な「仕事を命ずるコトバ」(「誥命」(こうめい)といいます)を読んでみましょう。

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―――ああ、君牙くんよ。

周の穆王(在位紀元前10世紀)がおっしゃった。

乃祖乃父、世篤忠貞、服労王家。厥成績、紀于太常。

なんじの祖なんじの父、世に篤く忠貞に、王家に服労す。厥(そ)の成績は太常に紀せり。

おまえの先祖もおまえのおやじも、代々篤く忠実と正義の心で我が周王朝に服属し働いてきてくれた。その実績は、「太常」に記録されている。

「太常」というのは王のところに掲げる旗なんだそうです。宋・蔡九峯の注(「集伝」)によれば、

日月為常、画日月於旌旗。

日月は常なれば、日月を旌旗に画く。

(「周礼」によると)太陽と月は常に存在するものであるから、太陽と月を旗さしものに描いたものを「太常」という。

そうです。なお蔡九峯は宋の大儒・朱晦庵の高弟で、その注は科挙試験等公式の場でのスタンダード解釈になりますから、科挙を受けるひとはよく注意しておいてくださいね。

さて、周の穆王のコトバに戻ります。

―――わしはまだコドモだが、文王・武王や成王・康王の遺志を受け継ぎ守っていられるのは、

亦惟先王之臣、克左右乱四方。心之憂危、若蹈虎尾、渉于春冰。

またこれ先王の臣の、よく左右し四方を乱(おさ)むればなり。心の危を憂うること、虎尾を蹈み、春冰を渉るがごとし。

これはまた先祖代々の臣下のみなさんが、うまくわしをコントロールして、四方のものどもを治めてくれているからだが、わしがいろんなことを、まるでトラの尾を踏んでしまったのではないだろうか、とか、春になって融けかけた氷を踏んで川を渡っているときのようだ、という心配でしかたがないのである。

そこで、今、おまえに命じる。

命爾予翼、作股肱心膂、纉乃旧服、無忝祖考。

爾、予の翼たりて、股肱心膂となり、なんじの旧服を纉(つ)ぎ、祖考を忝(はず)かしむるなかれ。

おまえはわしの翼となってくれい。両足や両腕や心臓や背中となって、おまえの昔からの服属を受け継ぎ、祖先たちを辱しめることのないようにしてくれい。

ひろく「五典」(君臣の義、父子の仁、夫婦の別、長幼の序、朋友の信)を広め、人民たちを和らがせ、これらの教えに従うようにさせてくれ。

爾身克正、罔敢弗正。民心罔中、惟爾之中。

爾の身よく正しければ、あえて正しからざること罔(な)からん。民心は中罔(な)し、ただ爾の中のみ。

おまえ自身が意識して正しくしてくれれば、(人民どもが)どうして正しくなくなることがあろうか。人民の心には「中」(適正)というものがない。ただおまえの「中」だけが人民どもを導くのだ。

いや、ほんとたいへんなんじゃ。

夏暑雨、小民惟曰怨咨。冬祇寒、小民亦惟曰怨咨。厥惟艱哉。思其艱以図其易、民乃寧。

夏の暑雨、小民これ曰く「怨咨なり」と。冬の祇(おお)いに寒き、小民またこれ曰く「怨咨なり」と。それ、これ艱(くる)しきかな。その艱しきを思いてその易きを図れば、民すなわち寧ならん。

夏の暑さと多雨には、人民どもは言うだろう「つらいのう」と。冬のひどい寒さにも、人民どもはやはり言うだろう「つらいのう」と。人民どもはホントに苦しんでいるのだ。その苦しみを思い、それを安らげてやろうとしてやれば、人民たちは安寧に過ごせるであろう。

おまえには、人民たちを教え養う「司徒」の仕事をやってもらいたいのじゃ。

ああ。

丕顕哉、文王模。丕承哉、武王烈。啓佑我後人、咸以正罔缺。爾惟敬明乃訓、用奉若于先王、対揚文武之光命、追配于前人。

丕(おお)いに顕かなるかな、文王の模(はかりごと)は。丕(おお)いに承(つ)がんかな、武王の烈(いさおし)は。我ら後人を啓佑し、みな正を以て缺くるなし。なんじこれ、敬しんでなんじの訓を明らかにし、用って奉じて先王に若(したが)い、文武の光命を対揚し、前人に追配されよ。

ものすごくはっきりしているではないか、文王さまの天下を治めるための大作戦は。ものすごく継承する価値があるではないか、武王さまの天下を定めた功績は。わしら後世の人間を啓発し助け、どちらのお方も正しく欠けるところがない。おまえは謹んで、おまえに与えられた教訓を明確にいて、それを守ってむかしの王さまたちのやり方に従い、文王武王の光輝くご命令を目の前に発揚し、むかしのひとたちと同じぐらいに評価されるようにがんばってくれい。

それから、王さまはまたおっしゃられた。

君牙くんよ。

乃惟由先正旧典時式。民之治乱在茲。率乃祖考之攸行、昭乃辟之有乂。

なんじはこれ、先正の旧典・時式に由(よ)れ。民の治乱は茲(ここ)に在り。なんじの祖考の行う攸(ところ)に率(したが)い、なんじの辟(きみ)の乂(がい)有るを昭(あき)らめよ。

おまえは昔の正しく立派な前任者たちの古い規則やその時の規定を基準にするがいい。人民たちが治まるか乱れるかはそこにあるのだ。おまえのご先祖たちが行ったところに従って、おまえの主君(であるわし)の政治的実績を証明してくれい。

以上。

ちなみに「先正」は前任の立派なひと、「祖考」は祖先たち、いずれにせよ複数に採るのが通説であり適切だと思うのですが、蔡九峯「集伝」は、

君牙之祖父、嘗任司徒之職。而其賢可知矣。惜載籍之無伝也。

君牙の祖父、かつて司徒の職に任ぜられしならん。しかしてその賢なること知るべきなり。惜しむらくは載籍の伝わる無きなり。

君牙のじいさんは、以前に司徒の職に任ぜられていたのであろう。(そして君牙はそのあとを嗣ぐことになったのだ。これだけそのひとを基準にしろとか従えと言われているのだから)じいさんが賢者であったことはよくわかるではないか。それなのに、そのじいさんの事績を載せた記録文書が伝わっていないのは、残念なことである。

と、君牙に祖父がいてそのひとのことだ、と説いています。自分でシナリオを作ってそのシナリオどおりの記録文書が遺っていないのは残念だ、と、ちょっと根拠薄弱な気がするんですが、科挙を受けるひとは注意するように。

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「尚書」(「書経」)君牙第二十七。勉強になったなあ・・・と感心してくれるひともあるかもしれません(いないと思いますが)が、実はこの篇は伝世の「今文尚書」には無く漢代に発見されたとされる「古文尚書」にだけあった篇で、しかも「古文尚書」から散佚してしまって、おそらく晋代に、古代のコトバをあちこちつぎはぎしながら偽作されたもの、とされています。だからあんまり権威は無い(元号の典拠にはなりうる)のだが、しかし試験範囲には入っているので勉強はしなければなりません。ツラいところである。

 

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