平成30年3月14日(水)  目次へ  前回に戻る

もう耐えられないので、遠くへ行くのサァー。

やっと終わったけどまだ水曜日。もうムリ。明日こそどこか遠くに行ったふりをして会社に行かないであろう。

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唐のもう終わりに近いころのことです。江西・新捦出身の若い僧侶・慶諸は、潙山臨祐禅師のもとで修行しておりました。

彼は米の管理係を仰せつかっていたのですが、

一日篩米次、潙曰、施主物、莫抛撤。

一日、米を篩うの次(とき)、潙曰く、「施主物なり、抛撤するなかれ」と。

ある日、脱穀後のコメを篩って小片などを除く作業をしていたとき、潙山臨祐禅師がそばに寄ってまいりました。そばに寄ってきておっしゃるには、

「施主からいただいたモノだからな。散り飛ばしてしまってはならんぞ」

慶諸、

不抛撤。

抛撤せず。

「散り飛ばしませんよ」

すると、潙山禅師は

「ほう・・・、そうかそうか」

と言いながら、

于地上拾得一粒曰、汝道不抛撤、這个是什么。

地上に一粒を拾得して曰く、「汝、抛撤せずと道(い)うに、このこれ什么」。

地面から一粒のコメを拾い上げて、言った。

「おまえは散り飛ばしたりしない、と言うたはずだが、このこれ、これは何じゃ?」

「・・・」

慶諸、

無対。

対する無し。

一言も答えられなかった。

潙山曰く、

莫軽這一粒、百千粒尽従這一粒生。

這の一粒を軽んずるなかれ、百千粒ことごとくこの一粒より生ずなり。

「この一粒を軽んじてはいかんぞ。百千粒のコメがこの一粒からどんどん生じてくるんじゃからなあ」

慶諸、むすーとして説教を聞いておりましたが、ふと疑問になって、言った、

百千粒従這一粒生、未審這一粒従什么処生。

百千粒はこの一粒より生ずれども、いまだ審らかならず、この一粒は什么処より生ずるや。

「百千粒はこの一粒から生じてくるんだとして、この一粒はどこから生じて来たんでしょうかね?」

A 無量大数の因果にからめとられたわれら衆生の、この因果の最初の因は何から始まったんでしょうか?

B お師匠、その米粒を今拾ったようなふりをして説教しているが、どこかから持ってきたんと違いますか?

もちろんAの意味で訊いたのだと思いますが、Bの意味にも取れるオモシロい質問になりました。

すると、

潙呵呵大笑、帰方丈。

潙、呵々大笑して、方丈に帰す。

潙山禅師は「わはははははは」と大笑いして、自分の部屋に帰って行った。

その晩、禅師は講堂に集まった僧侶たちに講説して言った、

大衆、米裏有虫、各位留心。

大衆、米裏に虫有り、各位留心せよ。

「諸君。どうやらコメの中にはムシがいるらしい。みんな、よく注意するように。おしまい」

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「五燈会元」巻五より。ごはんは大切に食べないといけません。明日も会社行かなくてもごはんは食べたいですね。

さて、潙山禅師のいうところは何か。最初の因は何なのか。ムシみたいなのがいてうごめき始めたのかな? そこのところをよく考えるといいと思いますよ・・・ということだと思うんです・・・が、もしかしたら、「わしがよそで拾って持ってきたんではなくて、ムシがいてどこかから動いて来たのだぞ」という言い訳カモしれません。

ちなみに慶諸は潙山のもとでは悟りに至ることができなかった、そうなので、このコメ問題では開悟できなかったようです。その後、道吾宗智のもとに移って大悟し、後に石霜山の住持となって石霜慶諸禅師と呼ばれる。

 

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