平成29年12月2日(土)  目次へ  前回に戻る

世界のぶた族は食べ物については非常に豊富な文化を持っているが、住む場所や衣服についてはほとんど文化が無く、紙の服や土の穴の家などが中心である。ゲンダイでは、草の家や木の家や石の家など造れるようなレベルの文化まで至っていなかった、と考えられているのである。

仲良し三匹ぶたの物語。でぶー。

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秦の昭王(在位前306〜前251)が群臣を前にしておっしゃった。

「韓や魏の力も弱まった。かつてはそれらには賢臣もいたが、今では愚か者が大臣の位についておる。

其無奈寡人何、亦明矣。

それ、寡人をいかんともする無きこと、また明らかなり。

どうやったって、わしをどうこうすることができないことが、まったく明らかではないか。

わあっはっはっはっは」

これを聴きまして、

左右皆曰甚然。

左右みな曰く、はなはだ然り、と。

まわりの者はみんな声を合わせて言った。

「ほんとにまったく、そうでござりまする!」

そしてみんなで

「わはははは」「がはははは」「ひいっひっひっひっひ」

と大笑いしたのであった。

そんな中で、侍臣の中旗という者(以下、めんどくさいので「イソップ」とします)が琴を弾じながら歌いましたことには、

王之料天下過矣。

王の天下を料るは過てり。

「王さまの〜、国際分析、まちがっている〜う、わわわ〜ん」

と。

群臣たちは色めき立った。

「なんじゃと!」「どうまちがっているというのだ!」「イソップめ、けしからん!」

「まあ待て」

王は群臣を抑えて、

「どういうことか、話してくれぬか」

とイソップに問うた。

「それでは―――」

と、イソップが琴をおしやって、申し上げますことには・・・・・・・・・

―――紀元前453年のことでございますが、このころ晋の国では、智伯・荀瑶と、魏桓子、韓康子、趙襄子の四人が大きな領地を持ち、権力を握っておりました。

めんどくさいので、以下、魏桓子を「ブー」、韓康子を「フー」、趙襄子を「ウ―」と略称します。

最も力があって有能だった智伯は、ブーとフ―を語らって、ウ―を攻めてその居城・晋陽を囲みました。そして、晋陽城の回りに大きな堤防を築いた上で、そこに晋水の水を引き入れて水攻めにしたのです。

どんどん水嵩が増しまして、今や晋陽の城は、

不湛者三版。

湛(ひた)されざるもの、三版のみ。

水の上に出ているのは、城壁のレンガ三個分だけとなった。

明日にも城内に浸水して落城するか、という日、

智伯行水、魏桓子御、韓康子為参乗。

智伯水を行き、魏桓子御し、韓康子は参乗と為る。

智伯は湛えられた水のまわりの堤防を視察した。このとき、ブーは智伯の馬車の御者をさせられ、フ―はその横に乗せられていた。

「ぶーぶー、めんどくさいでぶー」「ぶーぶー、退屈でぶー」

智伯はその二人の背後から、言った。

吾始不知水之可以亡人之國也、乃今知之。汾水可以濯安邑、絳水可以濯平陽。

吾始めは、水の以て人の国を亡ぼすべきなるを知らざるも、すなわち今は知れり。汾水(ふんすい)は以て安邑に濯ぐべく、絳水は(こうすい)は以て平陽に濯ぐべきなり。

「わしは以前は、水によってひとの城を滅ぼすことができるなんて思いもしなかったのじゃが、今となってはそれができることがわかったわい。ということは、汾水の水を導けば魏(ブー)の居城である安邑を水没させることができるし、絳水の水を導けば韓(フー)の居城である平陽を水没させることができるようじゃのう。わっはっはっは。(おまえたちを滅ぼすこともたやすいのじゃぞ)」

それを聞いて、

魏桓子肘韓康子、韓康子履魏桓子。

魏桓子は韓康子を肘し、韓康子は魏桓子を履む。

「ぶー!」とブーはフ―の脇腹を肘で突っつき、「ぶびー!」とフ―はブーの足を踏みつけた。

そして二人は目線を交わした。

(今のコトバを聴いたでぶか?)

(次はわしらだというのでぶよ)

その夜、ブーとフ―は城内のウーのもとに使いを遣わし、ひそかに兵を動かして、水を貯めた堤防の一画を切らせた。

水は激しくあふれ出して、決壊地点の下に駐屯していた智伯の軍を押し流して全滅させた。さらに逃げる智伯を、ブー、フ―、ウーの軍が追い詰め、ついに智伯は命を失い、智伯の領地は三匹のブタたちによって分割されたのである。

肘足接於車上、而智氏地分身死国亡、為天下笑。

肘足車上に接して、智氏の地は分けられ、身は死し、国は亡び、天下の笑いと為れり。

肘と足が馬車の上で触れ合ったため、智氏の領地は分割され、その身は殺され、その家系は滅亡し、天下の負け組として今も嘲笑される羽目に陥った。

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「・・・のでございます」

イソップはさらに続けた。

今秦兵雖彊、不能過智氏、韓魏雖弱、尚賢其在晋陽之下也。此方其用肘足之時也。

今、秦の兵は彊なりといえども、智氏を過ぐることあたわず、韓・魏は弱しといえども、なおその晋陽の下に在りしに賢(まさ)れり。これ、まさにその肘足を用いるの時ならん。

「現代におきましては、わが秦の軍は確かに強い。しかし、紀元前453年当時の晋国内の勢力争いにおける智氏ほどの絶対的なものではありません。韓や魏は弱ってきている。とはいえ、紀元前453年に晋陽の城の前で、馬車の運転をさせられていたときほどの弱さではありません。今このときこそ、実はかれらが、肘で突っついたり足を履んだりする時かもしれないのです」

この二国が危機感を共有して、同盟して窮鼠のように挑みかかってくれば、秦といえども防ぎきれないのではないか。

願王之必勿易也。

願わくば、王の必ず易(あなど)る勿らんことを。

「王さまが彼らを侮ることのございませんように、していただきたいものでござりまする」

そう言いまして、イソップがぐるりと見まわしますと、群臣どもは横を向いて視線を合わせることなく、

秦王恐。

秦王恐る。

秦王さまは恐怖のために、ぶるぶると震えてしまっていた。

のだそうでございます。

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「史記」第十四「魏世家」より。

ぶうぶうと鳴くだけが取り柄のぶたたちでも、力を合わせるとたいへんなことを仕出かすかも知れないのである。ぶた野郎のくせに。気をつけねばなりませんぞ。

 

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