平成29年12月1日(金)  目次へ  前回に戻る

亡びるかも知れないからはやく田舎に行こう。

にょろん。いよいよ「へびニンゲンでにょろん」の開始日となってしまいましたが、めんどくさいなー。

・・・と思っていたら、どうやら亡命先に受け容れらなかったみたいで肝冷斎がすごすごと帰ってきたでにょろん。ではまた肝冷斎に更新をさせるでにょろん。

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さて。

三国・呉の戴洋なるひとは、

年十二病死、五日而蘇。説死時天使其酒蔵吏。

年十二にして病死し、五日にして蘇る。説くに、死時、天、その酒蔵の吏として使わす、と。

十二歳のとき、確かに病気で死んだのだが、五日して生き返ってきた。そして、

「死んでいた時は、神さまたちの酒蔵の番人にさせられまちて、あちこちに(酒を届けに)行かされていたもんでちゅよー」

と説明した。

「蓬莱、崑崙、積石、太室、廬山、衡山などに行ってきたのでちゅがなあ」

というのである。

大人になって、未来を予測することに能力を発揮するようになり、

知呉将亡、託病不仕、還郷里。

呉のまさに亡びんとするを知りて、病いに託して仕えず、郷里に還る。

「どうやら呉国は亡びそうじゃな」

と予測して、病気を理由に職を辞めて田舎に帰ることにした。

途中、ある川のほとりに、老子を祀っている祠があった。

戴洋はそこで立ち止まり、まわりの人に言うには、

皆是洋昔死時所見使処、但不復見昔物耳。

みなこれ洋の昔、死時に使わされし処にして、但、また昔物を見ざるのみなり。

「ああなつかしいのう。このあたりは以前死んでいたときにお使いに来させられたところじゃ。しかし風景はずいぶん違ってしまったなあ」

と。

祠の守り人を見つけると、

「おおー!」

と声を挙げて近より、

去二十余年、嘗有人乗馬東行、経老君祠而不下馬、未達橋、墜馬死者否。

去ること二十余年、かつて人の馬に乗りて東行するに、老君の祠を経るも下馬せず、いまだ橋に達せずして馬を墜ちて死する者有りや否や。

「今から二十何年前かな、どこかのおっさんが馬に乗って東に行こうとして、この老子さまの祠の前を通りすぎるときに、馬から降りて一礼もしなかったが、橋のところにまでも行きつかない間に落馬して死んでしまったことがあったよな」

と語り掛けた。

守り人は

「そのとおりのことがありましたが、なんで知ってるのかな?」

と驚きましたが、戴洋が

「わしは天の使者をしていて、そのときここを通りかかったのじゃ」

と答えると、

「ああ、そうでしたか、そうでしたか」

と頷いたのであった。

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「晋書」巻九五「芸術伝」より。未来を予測する占術という「芸術」(アート)の名人なので、「芸術伝」に入れられているんです。

おいらもこの一週間、あちらでいろいろ使われてきたのだが、あまりシゴトが有能でないので「使えないやつじゃなあ」と追い出されてまた戻ってきたのである。

しばらくしたらまた行くので、それまでの辛抱と思います。

 

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