平成29年10月1日(日)  目次へ  前回に戻る

「食うだけしか能がない」と言われるのだが「言ってもわからないぐらい鈍感でシアワセだなあ、君は」と言われてシアワセだったが、さすがに言われ続けて少し弱ってきたようだ。

昨日の続きを書くほどの気力が無いんです。ぶー。

シゴトしてないんでじっとしているうちに治ると思いますが、シゴトしていたころだったら更にシゴトで追い込まれただろうなあ。

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裙子短兮褊衫長、 裙子短く、褊衫長く、

騰騰兀兀只麼過。 騰騰、兀兀(ごつごつ)として、只麼(しも)に過ぐ。

「裙子」はボトムのずぼん、「褊衫」は上っ張り。「騰騰」(とうとう)はいろいろ解釈ありうると思いますが、「のぼせあがっているさま」に解しておきます。「兀兀」の解釈もいろいろあるようですが、ここでは「石のようにごつごつしているさま」に解しておきます。「只麼」(しも)は「ただそれだけ」の意味。

 ずぼんは短い。上着は長い。

 うはうはと、あるいは、ごろごろと、ただ歩いているだけである。

という、わたしの状況である。

すると、

陌上児童忽見我、 陌上の児童、たちまち我を見て、

拍手争唱抛毬歌。 手を拍ちて争い唱う、毬を抛るの歌を。

 道のまわりにいるガキどもがわしを見つけて集まってきて、

 手を打ってみんなで歌いはじめるのだ、「てまりの歌」を。

これはいじめられているのではなく、遊ぼうと誘ってくれている―――少なくとも作者はそう解しているようです。鈍感なのかも。

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大愚良寛「騰騰」詩。これは五十代の後半ごろの詩だと思うのですが、おいらもだいたいこんな年齢になったのに、なかなかこのひとみたいにならないんです。なお良寛さんは更に年をとってから、貞信尼さまと仲良くなるんである。ぶー。

 

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