平成29年7月15日(土)  目次へ  前回に戻る

おいらたちには、お酒の力を借りていくしかないのかも。苦悩も不安も無い理想の世界には・・・。

あと二日もすればまた平日の恐怖が迫りくるわけだが、今日のところは夢でも見ているか・・・。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

唐のころだというひとあれば、明の時代のことだというひともあるのですが・・・、会稽・華亭で半農半漁の生活をしていた王可交というひとがいた。

彼が、

一日棹舟入江、忽見中流彩舫、載七道士、遠聞有呼可交名者。

一日、棹舟して江に入るに、忽ち中流に彩舫の七道士を載するを見、遠く可交の名を呼ぶもの有るを聞く。

ある日、舟に棹さして長江に出たとき、流れの真ん中あたりに、見慣れない色塗りの舟がいて、そこに七人の道士が乗っているのが見えた。その舟からは、はるかに「可交よ、可交よ」と彼に呼びかける声が聞こえたのである。

「なんでちゅかね?」

と首をかしげているうちに、

舟相逼、呼可交登舟。

舟あい逼り、可交に「舟に登れ」と呼べり。

その舟はどんどん近づいてきて、舟からは可交に向かって、「こちらに乗り移らんかーい」と呼びかけがあった。

とりあえず舟を停めて、

「いや、おいらは乗り移りませんよ」

と応えると、道士のうちの一人が言うに、

好骨相、合為仙。

好骨相なり、まさに仙たるべし。

「いい面構えではないか。こいつは鍛えればいい仙人になるぞ」

「はあ」

もう一人の道士が言うに、

「まあまあ、焦る必要はあるまい」

そしてこの道士は、

与之二栗、食之、甘如飴。

これに二栗を与うるに、これを食らえば、甘きこと飴の如し。

可交に栗を二粒くれた。「食え」というので食ってみると、水あめのように甘かった。

やがて、

「今日のところは、わしを送ってくれんかな」

と言って一人乗り移ってきた。

「岸まで連れてけばいいのでちゅかな?」

「そうじゃ、そうじゃ」

と言われたので岸辺に戻ろうとした・・・が、なかなかたどりつけません。

気が付いたときには、舟は、

乃在天台山瀑布寺前。

すなわち天台山の瀑布寺の前に在り。

なんと、何百キロも上流の、天台山の滝の下の寺の前にいた。

振り返ると、乗り移ってきていた道士は見当たらず、寺の僧が出てきて、

「いったいどこから来たのだ」

と問い詰めるので、

三月三日、今早離家。

三月三日、今早に家を離る。

「本日三月三日の朝、家から出てきたところなんでちゅが・・・」

といきさつを言ったところ、僧が答えるには、

九月九日。

九月九日なり。

「今日は九月九日じゃぞ」

ええー!

已半年余矣。

すでに半年余りなり。

あっという間に半年とプラス六日経っていたのだ。

・・・・舟を返して家に戻ってきた王可交でしたが、

後絶穀、住四明山不出。

後、穀を絶し、四明山に住みて出でず。

その後、穀物は食べなくなってしまい、会稽の四明山に入って、二度と出てこなかった。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

会稽の仙人・王可交の伝説は唐代から繰り返し記録されているそうなのですが、これは劉忭、沈遴奇、沈儆垣らの共著である「続耳譚」巻一より。今日は昼間暑くてふらふらし、まぼろしの中で自分の名前が呼ばれているような気がした・・・が、冷房の効いた電車に乗ったら正気に戻りました。誰も呼びかけてはくれてなかったみたいである。ぐすん。おいらも水あめ食べたいなー。ごはんも食べたいけど。

 

次へ