平成29年6月23日(金)  目次へ  前回に戻る

どうしてもガマンできずについついこれぐらい食ってしまうこともあるであろう。一日だけならいいと思うが・・・。

今日も食い過ぎた。ガマンとかできないのである。明日から抑えることにすれば、許されるのであろうか。

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唐枢先生に訊いてみます。

問、人有大過可改而為善否。

問う、人の大過の改むべき有りて為すは善や否や。

質問でっちゅ。ある人がたいへん間違ったことをしてしまったが、それは何とか取り返せるたぐいのもので、そのひとが何とか取り返したとしたら、その時点では「善」なのでしょうかどうでしょうか。―――答えでーちゅ。

昨日為悪人、今日改、即為善人。行之至則為聖人、何不可之有。

昨日悪を為すの人、今日改むれば、即ち善人と為す。これを行いて至らばすなわち聖人と為るも、何のこれ有るべからざらんや。

昨日間違ったことを仕出かした人が、今日取り返したらその時点で善人でありまちゅ。さらに善のことを行い続ければ、ついには聖人になることも、できないことではありません。

わーい、わーい、悪をしても取り返せるのでちゅね。

―――そうでーちゅ。

しかしながら、

但是今日猛有思復之意則可。

ただしこれ、今日猛(はげ)しく復を思うの意有ればすなわち可なり。

ただし、今日、すごく反省してなんとか取り返そうというキモチになって、やっとオーケーなんでちゅな。

若昨日便有此意、自云過可以改、我姑且為此、俟明日為善未為晩、便是終不可入堯舜之道。

もし昨日すなわちこの意有りて、自ら云うに「過てば以て改むべきも、我しばらくまさにこれを為し、明日を俟ちて善を為せばいまだ晩(おそ)しと為さず」とせば、すなわちこれついに堯舜の道に入るべからざるなり。

もしも昨日のうちにマズイというキモチがありながら、自分で自分に

「まあいいや、間違ったことをしたら直さないといけないけど、ここはこのままやっちゃって、明日になってからいいことをするようにすれば、なんとか間に合うにちがいない」

と言い聞かせていたとすれば、(今日直したとしても)最終的に堯や舜のような聖人・賢者の道に入ることはムリで、ダメ人間でちゅね。

なんと!

それでは昨日も食い過ぎて、「これはマズイ、しかし明日から反省すればいいや」と思いながら、今日も食い過ぎた、のはダメなのでちゅか?

―――ダメでーちゅ。

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明・唐枢「雑問録」より。わたしは今回、水・木・金、と三日連続で食い過ぎたので、これは許されません。体重増・血圧高くなったし、不整脈が悪化したような・・・。

なお、みなさんにおかれて、単に食い過ぎ問題だけでなく、広く人生全般のことについて、先生のお言葉を噛みしめていただければ、と思います。改めるべきことを抱えていながらそのままにしてるひとは多いと思いますよー。うっしっし。

 

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