平成29年4月9日(日)  目次へ  前回に戻る

もうどうでもいいや・・・という諦めのキモチも強まってまいりました。

ぶつぶつ言っているうちに日曜日も終わる。ああ、明日からまた一週間がはじまるのだ。今週はミサイル落ちてきたりするのかなあ。

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楊雨亭がわしに言うた。

―――おまえは知っているか?

労山深処、有人兀坐木石間、身已与木石同色矣。然呼吸不絶、目炯炯尚能視。

労山の深き処に、人有り、木石の間に兀坐し、身すでに木石と同色なり。然るに呼吸絶せず、目は炯炯としてなおよく視る。

会稽の労山の奥深くに、人がいる。その人は、木や石の間に何十年もただ座っており、体には土や苔が付着して木や石と同じ色になってしまっていて、身動きすることもない。しかし、なお呼吸はしているし、目だけはぎらぎらと光って外界を見ている・・・ということだ。

わしは答えた。

―――なるほど。失敗したのだな。

―――そうだ。

閉而不能出者。

閉ざして出だすあたわざる者なり。

うまく外側とは遮断できたのだが、出られなくなってしまったのだ。

―――つまり、

不死不生。

死なず、生きざるなり。

死ぬこともできない、しかし生きてもいない、という状態だな。

―――そのとおり。

亦何貴于修道、反不如鬼之逍遥矣。大抵仙有仙骨、質本清虚。仙有仙縁、訣逢指授。不得真伝而妄意衝挙、因而致害者不一、此人亦其明鑑也。

また何ぞ修道に貴ばれん、反って鬼の逍遥たるに如かざるなり。たいてい、仙には仙骨有りて、質もと清虚なり。仙には仙縁有りて、訣して指授に逢う。真伝を得ずして妄意衝挙すれば、因りて害を致す者一ならず、この人またその明鑑なり。

修道者たちに恐れられる状態に陥ってしまったのだ。死んで霊魂になってしまえば、逆に自由に現世を離れることもできように。だいたい、仙人になる者にはもともと仙人になるような生まれつきがあり、清らかで空っぽな性質を持っているものだ。仙人になる者には仙人になるための縁というものあって、必ずよい師匠の教えを受けるものだ。ところが、ほんとうの教えを伝承せずに、憶測を交えて突き進んでしまうと、いろんな害が出てくるもので、この人など、その明らかな証拠というべきであろう。

失敗するとこんなことになってしまうのですなあ。

―――こうなったら、

以刃破其頂、当兵解去。

刃を以てその頂を破れば、まさに兵解し去らんや。

頭頂部を刀刃を以て刳り貫き出口を作ってやって、そこから魂を自由にする――いわゆる「武器による解放」――をしてやるしかないのではないか。

だが、楊雨亭は言った。

―――だめだ。やめておけ。

此亦臆度之詞、談何容易乎。

これまた臆度(おくたく)の詞なり、談ずるも何ぞ容易ならんや。

それだって推測して言っているだけだからな。話をするのはたやすいが、決して成功するとは限らない。実際には簡単なことではなかろう。

武器を使ってもダメですかー。

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清・紀暁嵐「閲微草堂筆記」巻十三(槐西雑志三)より。間違った修行をしてしまうとそんな状態になってしまうらしい。

朝鮮半島も間違った状態になってしまっているのでしょう。米軍が強力な圧力をかけておりますが、武器で解決できるかどうか。しかしもはや武器でしか解決できない状態であるのは確かなのであろう。

それに加えまして、今週は東京のさくらはもう終わりですね。

さくらばな陽に泡立つを目守(まも)りゐるこの冥(くら)き遊星に人と生れて (山中智恵子)

の季節も過ぎていくのだ。

 

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