平成29年3月29日(水)  目次へ  前回に戻る

とのさまから厚遇されるとアンコウくんのように傲り高ぶってしまうのが普通である。厚遇をお断りするような者がいたとは・・・。

まだ水曜日。あと二日もイヤだなあ・・・。とは思うものの、昨年・一昨年の同時期よりはずっと良い状況になっております。このベクトルのままでいけば、来年ぐらいからは「シアワセ」になれるかも。

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孔子の弟子の曾参は、

敝衣而耕於魯。

敝衣して魯に耕す。

魯の郊外で、ぼろぼろの服を着て自ら耕して暮らしていた。

それを聞いて、「賢者に自ら労働をさせるわけにはいくまい」と、魯のとのさまは、曾参に一村を領地として贈ろうと申し出た。

しかし曾参はこれをかたくお断りした。

あるひとが問うて曰く、

非子之求、君自致之。奚固辞也。

子の求むるにあらず、君みずからこれを致すなり。なんぞ固く辞するや。

「あなたから求めた、というなら批判もされましょうけど、お殿様の方からこれを贈ろう、というのです。どうしてそんなに依怙地にお断りするのですか」

「うーん・・・」

曾参はさすがに、孔子から「参や魯なり」(「曾参か。あいつはのろまだぞ」)と言われ、愛された人物である。

なんか考えこんで、それからおもむろに語った。

吾聞受人施者、常畏人。与人者、常驕人。縦君有賜、不我驕也、吾豈能勿畏乎。

吾聞く、人に施しを受くる者は常に人を畏る。人に与うる者は常に人に驕る、と。たとい君の賜う有りて、我に驕らざるなりといえども、吾あによく畏るるなからんや。

「わたしはこんなふうなコトバを聞いたことがございます。

―――ひとさまからいただき物をしたなら、そのひとにはどうしても頭が上がらなくなるものだ。ひとさまに施し物をしてやったなら、そのひとにはどうしても偉ぶってしまうものだ。

とのさまはわたしに領地を下さって、さすがに偉ぶりはなさいますまいが、わたしの方はなかなか頭が上がらなくなってしまうのではないかと思うので・・・」

孔子さまは、このことを人づてに聞いて、にやにやとしておっしゃった、

参之言、足以全其節也。

参の言、以てその節を全うするに足らん。

「曾参のそのコトバを聞けば、やつは何とか自分の考えを通して、生きていけそうではないか」

おそらくうれしかったようである。

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「孔子家語」巻五「在厄篇」より。「在厄篇」は、悪い状況にあるときの心得、について孔子一門の言行を集めたシリーズです。悪い状況にあっても自分の「節」を曲げないでいれば、いつかシアワセが来るかも。

 

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