成29年3月2日(木)  目次へ  前回に戻る

変な風船状物体が飛んできているよし。おいらもそろそろ風に乗って消えていくさだめ・・・だ。

弱ってきました。花粉に反応してしまっているらしく、涙とかハナミズが出ます。気が弱くなってきた。もうダメだ。

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宋の時代、王安石の信任篤かった若い文人に袁世弼というひとがいて、まだ若いうちから、自ら「遯翁」(逃げじじい)と名乗っていた。

情感あふれる詩を多く作ったが、

臨死一篇尤佳。

臨死の一篇もっとも佳なり。

死に際に作った一篇の詩が、もっともよい。

曰く、

青靄千峯瞑、 青靄、千峯瞑(くら)く、

悲風万古呼。 悲風、万古に呼ぶ。

其誰掛宝剣、 それ、誰か宝剣を掛けて、

応有奠生芻。 まさに生芻を奠(まつ)ること有るべし。

 青いもやに隠されて、山々のいただきは見えなくなった。

 永遠の時空を超えて吹く風が悲しげである。

 そうだ、誰かが宝玉を飾った剣を聖所に懸けて、

 いけにえを捧げて神々を祀っているのだろう。

皓月東方隕、 皓月は東方に隕(お)ち、

長松夜壑枯。 長松は夜壑に枯る。

山泉吾所愛、 山泉、吾の愛するところ、

声到夜台無。 声の夜台に到るや無きや。

 白く輝く月は東の空から(昇ることなく)落ちていき、

 長く伸びた松は(本来は不老長寿のしるしであるのに)、夜の谷で枯れて行く。(死のときが来たのだ。)

 山中の泉のせせらぐ音がわたしは好きだったが、

 あの音は死者の国まで聞こえてくるだろうか―――?

確かにこんな陰影に富んだ詩は、同時代の誰にも作れなかった。

世弼は少年のころより

読書最苦、因爾臞瘠、没時纔三十四歳、自作墓銘。

読書最も苦しみ、爾(これ)に因りて臞瘠し、没時わずかに三十四歳、自ら墓銘を作れり。

苦悩しながら学問を続け、このためにひどく痩せてしまい、死んだときにはまだ三十四歳であった。自ら墓碑に刻む銘も作りおいていた、ということである。

残念ながらこの墓碑銘は伝わらない。

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宋・魏慶之編「詩人玉屑」巻十八より。魏慶之が、袁世弼の同時代人であった王直方と潘子真の、それぞれの「詩話」から抜き出してきた記述であるという。

若くして亡くなったひとの伝記は胸を打つものである。ことにどんどん弱ってきている今日このごろは、

「彼らに比べて肝冷斎や半冷斎の、なんと長くこの世に居過ぎていることだろうか」

というひとびとの謗りが聞こえる(ような気がしてきました)。おいら、心はコドモのまま成長してないのになあ・・・。

 

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