平成29年1月13日(金)  目次へ  前回に戻る

「眠いからおまえのベッドをおれに譲るといいゾウ」と冬眠中のクマをたたき起こそうとするゾウ。みんなの迷惑なのでクマは永遠に眠らせておいて欲しいのだが。

岡本全勝さんのHPがまた本弱小HPを紹介してくれました。ありがとうございます。紹介文には「難しいように書いているが言っていることは単純である」とか「第一期のやつらが全員逃げ出して第二期になった」とか「5肝冷斎ではじめたが1肝冷斎逃げて今は4肝冷斎」などの重要な情報が抜けてますが。

おまけに週末になったので、うれちいなー。今晩は目を閉じて、ゆっくり眠れるかも。

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今日は宋の欧陽曄(おうよう・よう)というひとのお話をしましょう。

少而所与親旧、後或甚貴、終身不造其門。

少(わか)きよりともに親旧するところも、後あるいは甚だ貴とならば、終身その門に造(いた)らず。

青年時代から仲良かったひとでも、その人が後にたいへん出世した場合には、生涯そのひとの家の門にも行かなかった(出世したひととは縁を切った)。

というほど廉潔を以て自らを持した人でありました。

役人としては、物事を解決する決断力にすぐれていて、随州という地の司法官になったときは、彼が赴任するまでに溜まりに溜まっていた三十六の事件について、赴任後ただちに判決を出して、しかも関係者をみな納得させたと申します。

またこんなこともありました。

大洪山奇峰寺聚僧数百人。転運使疑其積物多、而僧為姦利。命公往籍之。

大洪山奇峰寺、僧数百人を聚む。転運使、その積物の多く、僧の姦利を為すを疑いて、公に命じて往きてこれを籍せしむ。

大洪山奇峰寺というお寺があって、そこは僧侶数百人が集まり、財物も大量に持っていた。流通に責任を持つ転運使は、この寺の財産が多すぎ、僧侶たちが不正をしている可能性もある、として、欧陽公に、出向いて調査し、不正があれば没収するよう命じた。

公は命令どおりお寺に赴きました。すると、調べを始めたばかりというのに、

僧以白金千両餽公。

僧、白金千両を以て公に餽(おく)れり。

長老僧が、黄金数十キログラムを公への贈り物に持ってきた。

叩けばホコリが出る様子である。

公はその黄金を前に、「あはは」と軽く笑って、言った。

吾安用此。然汝能聴我言乎。

吾、いずくんぞこれを用いんや。然るに、汝、よく我が言を聴くか。

「わたしはこんなもの要らないよ。使い道が無いからな。それはそれとして、おまえさん、そんな気があるならわたしの言うことを聞いてくれないか。

そうすればおまえさんたちは罪に陥ることもなく、たくさんの人民が助かる、てもんだ。損をするのは一握りのお役人ですむ」

「はあ。なんでございましょうか」

今歳大凶。汝有積穀六七万石、能尽以輸官、而賜民。則吾不籍汝。

今歳大凶なり。汝、積穀六七万石有り、よくことごとく以て官に輸し、民に賜え。すなわち吾、汝を籍せず。

「今年は大凶作だ。おまえさんたちの寺はどうやら六〜七万石も穀物を貯め込んでるようだが、これを全部、「人民に分配してください」と条件をつけて、官に寄付してくれないか。そうしてくれれば、わたしは没収という方法はとらないよ」

「なるほど。それはウィン=ウィンでございますな」

「没収していくばくかを着服しようというお役人は得しないけどね」

というわけで、大量の食糧が民間に分配され、

飢民頼以全活。

飢民頼りて以て全活す。

飢えた人民はこの穀物分配のおかげで、一人も死者を出さなかった。

このことで役得を得られなかった者が中心になって別件で弾劾された公は、鄂州の桂陽の地方官に遷された。

桂陽民有争舟而相殴致死者。獄久不決。

桂陽の民に舟を争いて相殴り、死を致せし者有り。獄久しく決せず。

桂陽の町では、以前に舟の先手争いから殴り合いになり、死人が出た事件があったが、多人数が入り乱れたので、直接の下手人が判明せず、長らく判決が出ていなかった。

公は一件書類に目を通すと、

出囚坐庭中、去其桎梏、而飲食之。

囚を出だして庭中に坐せしめ、その桎梏を去りてこれを飲食せしむ。

容疑者たちを牢から出してお裁きの庭に座らせ、さらに手枷足枷を外してやって、飯を食わせてやった。

食訖悉労而還於獄、独留一人於庭。

食訖りてことごとく労いて獄に還し、ひとり一人を庭に留む。

食事が終わると、全員に「もう少しの辛抱だからな」と声をかけてやって牢屋に戻したが、一人だけは庭に残したままであった。

公は残した一人に向かって言った。

殺人者汝也。

殺人せる者は汝ならん。

「殺したのはおまえさんだね」

囚不知所以然。

囚、然る所以を知らず。

囚人は「ど、どういうことでございますか」としらを切った。

公は「あはは」と笑いまして、曰く、

吾視食者、皆以右手持匕。而汝独以左。今死者傷在右肋。此汝殺之明也。

吾、食者を視るに、みな右手を以て匕を持す。しかるに汝のみ独り左を以てせり。今、死する者の傷は右肋に在り。これ汝のこれを殺すこと明らかなり。

「わたしはさっきみんながメシを食うのを見ていたが、誰も彼も右手でスプーンを持って食っていた。ただ、おまえさんだけが左手で持っていた(。おまえさんは左利きだね)。ところで、殺された被害者の致命傷は右の胸にあった。それでおまえさんが殺したのだということが明白になったのさ」

そう言われまして、

囚即涕泣曰、我殺也。不敢以累他人。

囚即ち涕泣して曰く、「我殺せり。あえて以て他人に累(およ)ぼさず」と。

囚人は涙を流して泣きながら言った。

「殺したのはあっしでございます。今日まで他のやつらを巻き添えにしてしまいましたが、彼らには関係がございません」

ああ。

昔の良き官吏の判決の出し方というのは、このようなものであったのだ。

ところで、実はこの欧陽曄さんは、わたしの叔父さんなんです。若いうちに死んだわたしのおやじには兄弟が二人いて、その年下の方がこの人だった。わたしは祖母の下で育てられたが、その祖母がいつも「おまえはおまえの父親を覚えていないだろう。おまえの父親がどんな人だったか知りたければ、曄おじさんを見るがいい。本当にそっくりだ」と教えてくれたものである。

その後、祖母も叔父さんも亡くなった。

叔父の墓を建てるに当たって、従弟の宗顔はわたしに銘文を書けという。非才であるとはいえ、どうしてわたしがそれを断れようか。

銘に曰く、

公之明足以決於事。愛足以思於人。仁足以施其族。清足以潔其身。

公の明や以て事に決するに足れり。愛や以て人に思わるるに足れり。仁や以てその族に施すに足れり。清や以てその身を潔くするに足れり。

あなたの、賢明さは事件を判決するのに十分であった。愛情はひとびとから慕われるのに十分であった。仁慈は親族にも分かち合うに十分であった。清廉さは一身を潔癖に保つに十分であった。

而銘之以此。足以遺其子孫。

而してこれを銘するに此れを以てす。以てその子孫に遺すに足れり。

そういうことで、あなたのお墓に刻むコトバは以上である。これだけで、子孫に遺す財産としては十分であろう。

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宋・欧陽脩「尚書都官員外郎欧陽公墓誌銘」「唐宋八大家文」巻十三より)。

いい銘文ですね。欧陽曄叔父さんも以て安らかに眠れるであろう。おいらも週末だから安らかに眠りたい、と思います。もう起きてこなくてもいいんです。

 

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