平成28年12月20日(火)  目次へ  前回に戻る

.一般に三人いれば「上智」「凡民」「下愚」に分かれるものである。図は左から、@毛を剃って出家したサルA耳をセロテープで貼りつけて出家したふうに装っているブタ、B陸上生活に進化した魚類の三種。どれが「上智」でどれが「下愚」であるか、考えてみるのも一興であろう。

なんとか生きて帰ってきたが、冬至もまだである。なかなか年末年始にならない。ツラい仕事も次々とあり、春になって、冬眠から覚めても大丈夫、と思えるのはいったいいつであろうか。

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孟子が言った。

待文王而後興者、凡民也。若夫豪傑之士、雖無文王猶興。

文王を待ちて後に興る者は凡民なり。かの豪傑の士のごときは、文王無しといえどもなお興る。

朱子の注によれば、「興る」とは「感動して奮発すること」である。

周の文王さまのようなすばらしい指導者が出現したときに、自分たちもがんばろう、と思うのは普通の人民である。ところが、豪く傑出した人たちは、文王さまがいなくても、がんばるのである。

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「孟子」尽心上篇・第十章

朱注に曰く、

惟上智之資、無物欲之蔽、為能無待於教、而自能感発以有為也。

これ、上智の資のみ、物欲の蔽無く、よく教に待つ無くして、自らよく感発して以て為す有るを為すのみ。

(下等で愚かなやつはもちろん、普通の人でもダメで、)ただ上等で智慧のあるやつだけが、物欲に覆われることなく、指導を受けてなくても、自力で感動して奮い立ち、大切なことを成し遂げるのである。

吉田松陰先生のご意見を聴いてみます。(「講孟余話」五月十七日条

松陰先生は、この章から「凡民と豪傑の違い」を読み取れ、とおっしゃっておられます。それでは豪傑の士というのはどういう人たちであろうか。

ア)勿体なくも皇朝にて、神后の三韓を征し、時宗の蒙古を殲(ころ)し、秀吉の朝鮮を伐つが如き、豪傑と云ふべし。

本朝においては、@畏れ多くも三韓を征伐したまいたる神功皇后、Aモンゴルを撃退した北条時宗、B朝鮮を征伐した豊臣秀吉 が豪傑というべき人たちである。

イ)西洋にても墨瓦蘭(※)が西洋より東洋に航し、閣龍(※※)が亜墨利加を撿知(けんち)し、那樸列翁(※※※)が欧羅巴を混一する如き、豪傑といふべし。

※は「まじえらん」、※※は「ころんぶす」、※※※は「なぼれおん」とフリガナあり。

西洋でも@西洋からぐるっと回って東洋まで航海したマゼラン、Aアメリカを発見したコロンブス、Bヨーロッパを統一したナポレオン が豪傑というべき人たちである。

さらにこのほかに、

ウ)江戸時代に@朱子学に異論を唱えた伊藤仁斎、荻生徂徠も豪傑なのだが、Aこの二人に先駆けて流罪にまでなった山鹿素行先生こそ豪傑。

エ)我が長州藩において、@剣・槍の試合を始めた横地・内藤のふたりは豪傑であるが、彼らは流行に乗って始めたのである。A彼らより先に剣・槍についてひとびとを指導した栗栖又助という者豪傑というべし。

・・・と、ここまで来て、「パチン」と先生にスイッチが入りました。先生は歴史上の人物論をしているとスイッチが入りやすいんです。

「君たち、わかってくれ!

当今天下の士風また頗る衰ふ。

ゲンダイは、天下の士風がどえらく衰微している。

こんなのではもうダメだ、と思うかも知れん。だがしかし、

松本小邑と云へども諸君能く心を戮(あわ)せ、断然として古武士の風を以て自ら任じ、以て天下の先とならば、亦豪傑と云ふべし。

この松本村は小さな村だが、ここに講義を聞きにくる君らは、心を一つにして、きっぱりと昔の武士のように自分に責任を持ち、天下の魁となっていただきたい。そうれば、君らもまた豪傑だ!

今一介の士を以て天下の先とならんと云へば、自ら揣(はか)らざるに似たれ共(ども)、孔孟何者ぞ、程朱何者ぞ、亦是一介の士を以て天下後世の程式となること彼が如し。且前に歴挙する所の豪傑、亦皆、素より王侯の位、韓魏の富あるに非ず。是を思ふて励まざる者は凡民にも及ばざるなり。

一介の下っぱサムライが天下のさきがけになる―――などと言ったら、自分のことをわかっていないようにも見えて、バカにされるかも知れんが、孔子や孟子がなにものであろうか、宋の程氏兄弟や朱子がなにものであろうか。彼らもやはり一介のサムライでしかなかったのに、後世の世界でこのように目指す対象となっているではないか!

さきほど挙げたア)〜エ)の豪傑の方々も、みんな初めから王侯の地位や(戦国時代の)韓や魏のような豊かな富を保有していたわけではないのだ(★)。このことを考えて、「よしやってやろう」と思わない者は、一般人民以下のやつといわざるを得ないぞ!」

★=先生はこの時点では、神功皇后や執権・北条時宗を例に挙げていたのは忘れてしまっていたのではないかと思う。

よし、じゃあ、がんばろう。・・・来年になったら・・・。いや、春になったら・・・。いや・・・。

 

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