平成28年8月13日(土)  目次へ  前回に戻る

「とんぼの目玉はくるくる目だま、(社会の圧迫が)一定限界超えたから、超えたからー」

8月8日の更新後、肝冷斎めは、
「こんなこと続けていて、何になるんでちゅか! コドモだって気づいているんでちゅぞ!」
と言い残して行方不明になりました。八方手を尽くしましたが見つかりませんので、しばらく更新を休んでおりましたのじゃ。
肝冷斎が悪いのではないのです。彼や、わしら一族を追い詰めた社会がいけないのですじゃ・・・。と言うても詮無いことじゃて。しばらく残ったわたしどもで細々とやっていこうと思いますじゃ。
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むかし、平安時代の中ごろのことですじゃ。

宗岡秋津というひとがおられまして、武技にすぐれていたが、晩年になって文学(漢文学)を熱心に学んで文章道(もんじょうどう)の試験を受けた。このひと、まじめなひとでしたが、

但有酒癖。

ただ、酒癖有り。

お酒が大好きという特徴があった。

この「酒癖」の「癖」は、「悪い」やつではなく、「詩癖」とか「文癖」というのと同様に、「こだわりを持って好きである」というような意味です。

延喜帝(醍醐天皇)の御世に、

応試登第、上恤其頽齢、特詔褒之。

試に応じて第に登るに、上、その頽齢を恤みて、特に詔してこれを褒む。

文章生試験(進士科)の試験を受けて、合格した。みかどは、秋津がもう相当な老齢であることもお含みになられ、特別にみことのりを下して、彼のことを称賛してくださった。

合わせてお酒を賜った。

「みかどにお褒めいただいたじゃぞ!」

秋津は大いに喜び、酔っぱらって

舞踏、不堪感戴、帰行狂歌。

舞踏し、感戴に堪えず、帰行するに狂歌せり。

舞い踊って感動したが、そのよろこびに我慢できなくなって、内裏から声をあげて歌いながら帰った。

どこをどう歩いていたのかよくわからない。

目の前に立派な門があった。

「うほほほほー、この門はなんじゃ?」

門番らしきもののふが答えた、

「建礼門でござるぞ」

そこで、秋津は、声高らかに、

今宵奉詔歓無極、 今宵奉詔して歓び極まり無し、

建礼門前舞踏人。 建礼門前、舞踏の人。

 今宵、みことのりをいただいて、無上のよろこびである。

建礼門の前でおどるこのわしを見てくれ。

と歌いながら、門をくぐろうとした。

「こら、おまえは何者だ!」

衛士叱之、応曰新進士某。

衛士これを叱するに、応じて曰く「新進士なにがしなり」と。

門番は厳しく誰何した。秋津は堂々と答えて言う、

「わしは、今日、文章生となった宗岡秋津じゃ、みかどよりお褒めいただいて帰らんとするなり」。

門番は苦笑して言う、

此是禁門也。

これ、禁門なり。

「ここから先が内裏ですぞ」

なんと酔っ払っているうちに、どこかから内裏を出て、また内裏に入ろうとしていたのである。

秋津始悟、反走。

秋津、始めて悟り、反走す。

秋津はそこで酔いが醒めて、「し、失礼いたした」と逃げて行った。

上聞愈憐之。

上、聞きていよいよこれを憐れめり。

みかどはこのことを聞かれて、さらに秋津にお優しいキモチを持たれたという。

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「皇朝蒙求」巻七より。もとは大江匡房の「江談抄」にあるお話だそうですから、数百年も生きているわしからしましても「昔々」のお話ということになりますじゃ。

我が国の君臣というのはこういうほがらかなものであった。どこぞのような易姓革命の国柄とは違うのだなあ、この国に生まれてよかったなあ、という思いを新たにしてしまいますなあ。

 

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