平成28年7月6日(水)  目次へ  前回に戻る

「わ、こら止めんか、あ、あぶない」「うりうり」「いい湯でぶー」「う、うわー、ほとけさま、なんとかしてー」どぼん。

こんなに生きていたのに、まだ水曜日だって。(´;ω;) なんとかして・・・。

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さてさて、紀元前の大昔、ということになりますが、シュラーバスティーの町の祇園精舎で、お釈迦さまが説法をしていた。

そのとき、お釈迦さまの十大弟子のおひとりで、お釈迦さまの侍者をお勤めになっておられた阿難(アーナンダ)さまは

因乞食次、経歴婬室。

乞食の次に因りて、婬室を経歴せり。

托鉢に出かけておりまして、その道順どおりに、売春宿のあたりを通っているところでございました。

もちろん、阿難尊者さま、女などにうつつを抜かすようなお方ではない・・・のですが、このとき、

遭大幻術摩登伽女、以娑毘伽羅先梵天呪、摂入婬席。

大幻術摩登伽(まどか)女に遭い、娑毘伽羅先梵天呪を以て、婬席に摂入せらる。

「摩登伽」(まどか)は、梵語の「マータンガ」、インドの高級娼婦であられる。後に出家して「本性比丘尼」と呼ばれるのだそうでございます。

大いなる惑わしをするマータンガさまに遭遇した。

マータンガさまは「なんという素敵なおぼうさまかしら」と欲望をお持ちになられまして、阿難さまを誘惑なさった。

ただの誘惑で靡く阿難さまではないのであったが、このとき彼女は

魔道士シャビーカラーの信者たちが遠い昔にブラフマンから習ったという呪文を唱えたので、さしもの阿難さまも「うう、た、たまらぬ」と女に誘われるままに同じベッドに横になったのだった。

「へっへっへ、いいからだしてやがる。たまらねえぜ」

「あんたもステキよ」

婬躬撫摩、将毀戒体。

婬躬を撫摩して、まさに戒体を毀たんとす。

いやらしい体を撫でさすりあい、「へっへっへ戒律なんてどうでもいいぜ」と、守ってきた戒を破ろうとしたのだった。

へっへっへ。

と、そのとき、遠く離れたところで、おそらくテレパシーかなんかによるのだと思いますが、

如来知彼婬術所加。

如来、彼の婬術の加うるところとなるを知れり。

シャカ如来さまは、阿難がエッチ魔法をかけられていることに気づいた。

于時世尊、頂放百宝無畏光明。光中出生千葉宝蓮、有仏化身、結跏趺坐、宣説神呪。

時に世尊、頂より百宝無畏光明を放てり。光中に千葉の宝蓮の仏の化身有りて結跏趺坐し、神呪を宣説するを出生す。

そこで世尊ブッダは、頭のてっぺんから百の宝石のような、相手をやさしく包み込むような光を放射された。この光の中には、千枚のハスの葉が出現し、その葉の上にはブッダご自身の分身がそれぞれ足を組んでお座りになっており、神秘的な呪文を唱えているのであった。

「モンジュシリーよ」

「あい。なんでちょ」

ブッダは

勅文殊師利、将呪往護、悪呪銷滅。

文殊師利に勅して、呪を将ちて往護し、悪呪を銷滅せしむ。

文殊菩薩さまに命じて、この千のブッダの唱えた呪文をそのまま阿難のいる空間に移動させ、マータンガのおそろしいエッチ呪文の効果を消滅させた。

「あれ、わしはどうしたことじゃ?」

阿難尊者は正気に戻られた。

「気づきまちたかな?」

そこで文殊菩薩は

提奘阿難及摩登伽、帰来仏所。

阿難及び摩登伽を提奘(ていしょう)して、仏所に帰来せり。

阿難尊者とマータンガを瞬間移動させて、ほとけのおられる空間に連れて来た。

阿難さまはブッダのお姿を見ますと、

頂礼悲泣、恨無始来、一向多聞、未全道力。

頂礼して悲泣し、無始より来のかた、一向に多聞していまだ道力を全うせざりしを恨む。

頭をすりつけて礼拝し、悲しげに泣かれ、

「無限のむかしから、わたくしはひたすらいろんなことを見聞して、それによって悟りを得ようとしてまいりました。それに注力しすぎて、本当のほとけの教えの力を完全にしようとしてこなかったのです。それでこんな魔法に引っかかってエッチをしようとしてしまったのが、くやしいことでございます」

と、訴えになられたのですな。

それならエッチしてしまいそうになってもしようがないことですなあ。

そこで仏さまが、阿難のこれまで聞いてきた仏法の理解を論破しつつ、「指月の喩」とか「七徴八還の教え」などいろいろのことを教えてくださるのが「大仏頂如来密因修証了義諸菩薩万行首楞厳経」(略して「楞厳経」(りょうごんきょう))でございます。(上記の部分は巻一)

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「楞厳経」は唐の時代に天竺沙門・般剌密帝(はんらみってい)が訳した・・・ことになっているのですが、実はインドにこれに対応する経典は無く、漢文経典しか存在しないことから、現代では、ほぼ確実に中国で作られた経典(これを「中国撰述経典」といいます)であろうと推定されています。

ということで、この阿難尊者が摩登伽さまと「へっへっへ・・・」をなさろうとして、寸前で仏さまに見つかってしまった!というのは、インドの人ではなくてチャイナの人の創作なんです。どうしてもお経は退屈になってしまいますから、

「冒頭のところを一般のひとにも興味深くして、読むひと・聞くひとを惹きつけようではないか」

「そのためにはエッチな要素も入れませんと」

「ひっひっひ、そうじゃのう」

「うへへへへ・・・」

と綿密に相談して、こういうお話を作った・・・のでありましょうか?

いずれにしろ中身はまたおいおいご紹介します。ちなみに中身にはエッチの要素はあんまり無いです。(なお、ご紹介できるのは、例によって拙僧(肝冷和尚)がシゴトや社会に押しつぶされなければ、ですが)

 

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