平成28年4月7日(木)  目次へ  前回に戻る

まあお茶でも飲んで落ち着きなはれでぶー。ムリか。

今日は都内某所で曾国藩「四耐四不訣」(耐冷、耐苦、耐煩、耐閑。不檄、不躁、不競、不随、以成事。)のことを聞いてきた。

佳いコトバである。

「なるほど勉強になった」

と納得したが、その後またまた大問題。二週間ぐらい前の大失敗がばれてきたぞー。パナマ文書がたいへんな問題になりつつありますが、こちらもたいへんなのである。

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夫世海也、身舟也、志柁也。

それ、世は海なり、身は舟なり、志は柁なり。

そもそもですな。

世の中が海だとすると、我が身は舟のようなものです。そして、我が志が舵です。

ところが、

世之溺人久矣。

世の人を溺れせしむこと久しきかな。

いにしえより、世の中という海は(舟のコントロールを失って海中に落ちた)ひとを溺れさせてしまうものなのである。

これは海を渡る途中で、舵である「志」を失ってしまうからである。すなわち

吾之志、所以度吾之身、不与風波滅没者也。

吾の志は吾の身を度し、風波の与(ため)に滅没せざる所以(ゆえん)なり。

我が志は、我が身をして海を渡らしめ、風や波のために沈没させてしまわないための手段なのだ。

操舟者、柁不使去手。故士莫要於持志。

舟を操る者、柁を手より去らしめず。故に、士は志を持するより要なる莫きなり。

舟をあやつるひとを見ていると、舵を手放すことは絶対にない。(手放したら舟のコントロールを失うからだ。)このことから、ちゃんとした人にとっては、志を保持することより大切なことはないのである。

手放してしまうと、

由良のとをわたる舟人かぢをたえ行く方も知らぬ恋の道かな 曾禰好忠

というやつになりますね。

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明・祝世禄「祝子小言」より。

なんといわれても大失敗はもはや取り返せないなあ。開きなおるしかないような気がするが、開き直れるか。

 

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