平成28年3月29日(火)  目次へ  前回に戻る

人生のぬかるみを越えて、いつの日にか自由な世界に至れるのだろうか。

まだまだぬかるみが続く。自由な世界に至る前に、そろそろ力尽きるか?

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宋の時代のことです。

蘇州の万寿徳興禅師のもとに訪ねてきた僧、

「しつもんでーちゅ」

として曰く、

如何是仏。

如何ぞこれ、仏。

ブッダというのはどういうものなのでちょうかな?

と訊いた。

禅師答えて曰く、

大衆一時瞻仰。

大衆、一時に瞻仰せり。

みんな、あのころは仰ぎ見ていたなあ。

「むむむ」

僧、また質問して曰く、

如何是和尚為人一句。

如何ぞこれ、和尚の人の為にするの一句ならん。

和尚さま、おいらのために何か一言言ってくださるといたちまちたら、どういうことばでちょうかな?

禅師曰く、

汝且自為。

汝、しばらく自ら為せ。

おまえさん、ちょっとやってみてくれんか。

「むむむ・・・、こんな感じでちょうかな」

僧はしゃべりはじめた。

問答倶備、其誰得意。若向他求、還成特地。老僧久処深山、比為蔵拙、何期今日入到万寿門下。可謂蔵之不得。既蔵不得、分明露現。未審諸人、阿誰先見。如有見処、出来対衆吐露箇消息。

問答ともに備わり、それ誰か意を得ん。もし他に向かいて求むれば、また特地を成す。老僧久しく深山に処し、比しく蔵拙を為して、何ぞ今日を期して万寿門下に入り到るや。謂うべしこれを蔵し得ず、と。既に蔵し得ず、分明に露現す。いまだ審らかならず、諸人、阿誰(あすい)まず見るや。もし見処有らば、出来して衆に対して箇の消息を吐露せよ。

たくさん言ってますね。

質問も回答も完全なら、(逆に)その意味は誰にもわかりまちゅまい。しかしそこから逃げ出してほかのところに求めたところで、同じことにしかなりまちゅまい。

この老いぼれ坊主、長いこと深い山の中に暮らしておりまちたのじゃが、隠れているのが上手でないので、今日どうして万寿和尚のところに入門しに来てちまったのかなあ。隠れきれなかったのだなあ、ということでしょう。隠れきれなかった以上、こうやってはっきりと現れたのでちゅ。ちゃーて、みなさんの中で、いったいどなたが最初においらを見つけたのかな。何か見つけたことがあれば、お出でになって、みんなに対してそこのところを吐き出して(教えて)いただきたいものでちゅがな。

万寿和尚、黙って聞いていたが、僧が話し終わって、

良久曰、久立、珍重。

やや久しくして曰く、「久しく立つこと、珍重なり」と。

だいぶんしてからやっと口を開いた。

「長いこと立たせてしまって申し訳なかったな」

と。

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「五燈会元」巻第十より。

禅師に頼っても俗世の悩みの出口は、なかなか見つからないようですね。

梅が香や木魚しづかに竹の奥  永井荷風

 

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