平成28年3月19日(土)  目次へ  前回に戻る

休みの日はなにものにもとらわれない境地に。ぶーん。

今日はくるまパンクしてまいりましたが、JAFさまがすぐ来てくれてありがたかった。シゴト以外の世界ではニンゲンが助け合っているのがわかるのだが・・・。

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昨日からの続きです。

「うっしっし」

とにやにやしながらバスミータさまの邸宅の門までやってきた善財童子でありました。

その邸宅は、と見ますと、広大にして荘厳に飾られ、十重の宝石を飾った垣根がまわりをぐるぐる取り囲み、その垣根の向こうには十列の宝石の実ったターラの木が植えられ、その間には十重の深い堀があり、そこには八つの功徳のある水が満ち、底には黄金の砂が敷き詰められておりまして、水面にはいろんな種類のハスの花が浮かんでいる。

このハスの花は

出微妙香、能転人心、不生垢染。

微妙の香を出だしてよく人心を転じ、垢染を生ぜず。

かすかなすばらしい香りを出して、これによって人の心を入れ替えさせ、汚れたものをつかないようにするのでした。

そして垣根の向こうの宮殿や楼閣は宝石に飾られ・・・(中略)・・・。

「ごめんくだちゃい」

と門から呼んでおりますと、ざわざわと多くのひとが宮殿から庭に出ておみえになりました。その真ん中に、

爾時、善財見彼女人。

爾時、善財、かの女人を見る。

そのとき、善財童子は、その女性らしき方がおられるのをその目で見たのでございます。

バスミータさまと思しきその方は、

処宝獅子座、顔貌端厳、妙相成就。身如真金、目髪紺色、不長不短、不白不黒、身分具足、一切欲界無与等者、何況有勝。

宝獅子座に処し、顔貌端厳にして、妙相成就す。身は真金の如く、目髪は紺色にして長ならず短ならず、白からず黒からず、身分具足し、一切欲界に与等者無く、なんぞいわんや勝る有らんや。

宝石で作られたライオンの座席にお座りになり、お顔かたちは整いおごそか、妙なるおすがたであられる。体はまことの黄金色、目と髪は紺色、背丈は高からず低からず、肌の色は薄くも濃くもなく、からだ中のバランスもすばらしく、この欲界(地上・地下)にはならぶものない美しさ、彼女にまさるものなどいようはずがない。

彼女の回りには、

大衆囲遶。

大衆、囲繞す。

たくさんの取り巻きがいます。

取り巻きたちは

「うっほっほ」「うっほっほ」

と彼女を賛仰しておりますが、この取り巻きども、

皆悉修善、同其願行、成就善根、不可沮壊、具足無尽功徳宝蔵。

皆ことごとく善を修め、その願行を同じくし、善根を成就して、沮壊すべからず、無尽功徳宝蔵を具足せり。

みなさんすべて善きことを修行しておられ、バスミータさまと願いや行動をともにし、善の力を蓄え持って、邪魔したり壊したりすることは誰にもできないほど。尽きることのない功徳の宝の蔵をその内部に持っているのでありました。

そのとき、バスミータさまは「ぶぶぶ〜ん」と、

身出光明普照一切、触斯光者歓喜悦楽、身心柔軟、滅煩悩熱。

身より光明を出だして一切を普照し、斯の光に触るる者は歓喜悦楽して、身心柔軟に、煩悩熱を滅せり。

からだが光を出しました。

その光は一切のものをあまねく照らし、その光に触れた者はよろこび、快楽にひたされ、からだもこころもふにゃふにゃと柔らかくなり、あんまりキモチがいいので、煩悩の熱が冷えてしまったのでありました。

「うひゃー、ありがたや」

善財童子はひざまずき、

頭面礼足、遶無数匝、恭敬合掌。

頭面にて足に礼し、繞ること無数匝、恭敬合掌す。

頭と顔を彼女に足にペタペタとひっつけて礼拝し、彼女のまわりをぐるぐると何度も回り、それからうやうやしく敬って合掌した。

そして申し上げたのであった。

大聖、我已先発阿耨多羅三藐三菩提心、而未知菩薩云何学菩薩行、修菩薩道。

大聖、我すでにまず阿耨多羅三藐三菩提(←一発変換)の心を発し、しかれどもいまだ菩薩のいかんが菩薩行を学び、菩薩道を修むるやを知らず。

「大いなる聖女さま。おいらはすでに、アノクタラサンミャクサンボダイ(無上のさとり)を得ようという心を起こしております。けれども、まだボサツたちがどうやってその行うべきことを学び、どうやってすすむべき道を修行するのか、がわからないのでございまちゅ。

どうか、そこんとこを教えてくだちゃりませ」

とコドモらしくおねだりしたのである。

すると、バスミータさまは振り向いてくださいました。

そしてかたちのよいくちびるをお開きになって、おっしゃられるには、

善男子、我已成就離欲実際清浄法門。若天見我、我為天女。若人見我、我為人女。乃至非人見我、我為非人女。

善男子、我はすでに離欲実際清浄法門を成就せり。もし天の我を見ば、我は天女なり。もし人の我を見ば、我は人女なり。ないし、非人の我を見ば、我は非人女なり。

「かわいい童子よ、わらわはすでに欲望を離れたほんとうにきよらかな法の地位に至っておりますよ。神々の目にはわたしは女神と見えますし、ニンゲンの目にはニンゲンの美女と見えますし、アシュラなどの人外のものたちの目にはアシュラなどの女に見えるはずです」

「へー」

衆生欲所纏者、来詣我所、為其説法皆悉離欲、得無著境涯三昧。

衆生の欲の纏わるところの者、我がところに来たり詣れば、それがために説法してみなことごとく欲を離れ、無著境涯三昧を得せしめん。

「わたしは、欲望に纏わりつかれたひと(お客?)がわたしのところにやってきたならば、そのひとのために教えてあげるのです。そうして、そのひとに欲望を離れ、「なにものにもとらわれない境地」を得させてあげるのですよ」

「なんでちゅと!」

「それだけではありませんわ」

彼女に近づけば近づくほど、もっとすばらしい「三昧」が得られる、というのです。

どんな「三昧」が得られますか、は、次回のお楽しみ。

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「華厳経」入法界品より。うっしっし。

 

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