平成28年3月11日(金)  目次へ  前回に戻る

「自由に旅すべき」「ぶーん」

今週ツラかった。しかし何も解決せずに問題深まって、来週に続く。なんとか早くこんなクビキから自由にならねば・・・。

・・・・・・・・・・・・・・

老莱子は春秋時代、楚の国にいたという賢人で、「二十四孝」や「蒙求」「老莱斑斕」の故事で名高い志の高尚なひとでありますが、その奥さんもえらかったんです。

「古列女伝」に曰く―――

楚の王さまが老莱子の賢者なりとの評判を聞いて、

駕至莱子之門。

駕して莱子の門に至る。

馬車に乗って自ら老莱子の家にやってきた。

莱子方織畚。王曰、守国之政、孤願煩先生。

莱子まさに畚(ふご)を織る。王曰く、守国の政、孤、願わくば先生を煩わさん。

老莱子はちょうど「ふご」(藁などで編んだモッコ、背負子)を編んでいたところであった。王さまはその莱子にむかって言った、

「国を守るための政治について、わたくし、できれば先生にご迷惑をおかけしたい」

大臣あるいは顧問として支えてくれ、との申し入れであります。

老莱子、訊ねた。

「いやだと申し上げたら?」

王曰く、

「ここを退きませぬ」

「なんと。それはまた困ったな」

そこで老莱子は言った、

諾。

「諾」

「承知しました」

「おお、ありがたい」

王去。其妻樵還曰、子許之乎。

王去る。その妻、樵より還りて曰く、「子これを許すか」

王さまは出仕の日取りを確認して、帰っていかれた。

ちょうどそこに、老莱子のおくさんが薪木拾いから帰ってきて、一部始終を聞いて、老莱子に訊ねた。

「それで、おまえさん、引き受けたのかい?」

然。

然り。

「そうじゃ」

おくさんは言った。

妾聞之、可食以酒肉者、可随而鞭撻、可擬以官禄者、可随而鉄鉞。妾不能為人所制者。

妾これを聞く、食らうに酒肉を以てすべき者は、随いて鞭撻さるべく、擬するに官禄を以てすべき者は、随いて鉄鉞さる、と。妾、人の制するところと為るあたわざる者なり。

「あたしはこう聞いているよ。

酒や肉をたっぷり飲食できるような地位の人は、(主君に)ムチや杖でぶん殴られてもしようがない。

お国から給料をもらえるような地位の人は、(主君に)鉄のまさかりで首をはねられてもしようがない。

てね。あたしは他人様のご命令を受けるようなことにはなりたくないね」

そして、

妻投其畚而去。

妻、その畚を投じて去れり。

おくさんは薪木を背負っていた背負子を投げ出して、出て行ってしまった。

「おいおい、待ちなさいよ」

老莱子亦随其妻。

老莱子、またその妻に随う。

老莱子も、おくさんのあとについて家から出て行ってしまった。

二人はそのまままだ原始のころの長江の南に行き、

鳥獣之毛、可績而衣。其遺粒足食也。

鳥獣の毛、績みて衣にすべし。その遺粒、食らうに足る。

鳥やケモノの毛を撚って着るものすればいいや。落穂を拾って食っていこう。

と言いまして、そこに隠れ棲んだという。

当時、楚の国に旅していた孔子は、そのコトバを伝え聞いて、

蹙然改容焉。

蹙然として容を改む。

顔つきを変えて敬意を表した。

のだそうでございます。

ああ。

人に制せられて、却って喜ぶ者のなんと多いことであろうか。そんな人は、本当の自由を棄てて顧みようとしていないのだ。男児たるものの自由を求めることの、どうして老莱子の妻に後れることがあっていいものだろうか。(←あッ、これはまずい!男尊的ですぞ!危険思想ですぞ! 警告、警告!)

・・・・・・・・・・・・・・・

我読先秦書、 我、先秦の書を読むに、

莱子有逸妻。 莱子に逸妻有り。

閨房以逸伝、 閨房に逸を以て伝わるは、

此名踏者希。 この名、踏む者希(まれ)なり。

勿慕厥名高、 その名の高きを慕うなかれ、

我知厥心悲。 我はその心の悲しきを知る。

 わたしは春秋戦国時代の書物を読んでいて、

 老莱子に隠逸を求める女房がいたことを知った。

女性でありながら隠逸を以て名が伝わるというのは、

後世その名声を同じくするひとは滅多にいない。

けれどもその名声の高いのにあこがれてはいけない。

(現世を否定して隠逸を求めた)その人の心がどんなに悲しかったか、わたしにはわかるのだ。

この詩は清・龔定盦「寒月吟」其三より。

 

次へ