平成28年1月6日(水)  目次へ  前回に戻る

「クマだったら何が悪いのかおー?」「わにゃしに言われましても・・・」

今日も会社行かずに暮らしています(会社には「もどき」が行きました)。家から出なければ、少なくとも落とし穴には嵌まらない〜

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

南朝宋の元嘉年間(424〜453)のことだそうですが、邵陵・高平の黄秀というひと、

入山経月不還。

山に入りて月を経るも還らず。

山中に入って行ったまま、一か月以上も帰ってこなかった。

そこでその子どもが捜索に行きましたところ、見つけました。

秀蹲空樹中、従頭至腰毛色如熊。

秀、空樹中に蹲り、頭より腰に至るまで毛色熊の如し。

黄秀は木のうろの中にうずくまっていたのだが、よくよく見るに・・・

なんと!

頭から腰まで熊のような毛が生えていたのであった。

「おとっつぁん、どうしたんだね?」

と問うに、おやじは

天譴如此、汝但自去。

天譴かくの如し、なんじただ自ら去れ。

「おてんとさまのお怒りじゃろうから、しようがない。おまえは一人で帰るがいいぞ」

という。

「そうかね」

そこで息子は一人で帰ってきた。

逾年、伐山人見形尽為熊矣。

逾年、伐山の人の見るに、形ことごとく熊と為れり。

翌年、キコリが山中で黄秀らしきものを見つけたが、その姿はもう完全に熊となっていた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・

南朝宋・劉敬叔「異苑」より。(なんで「完全に熊となっていた」のに黄秀であるとわかったのだろう? まあいいか・・・)

ああ、目に見えぬ天の譴(いか)りがニンゲンをクマにしてしまうのである。

まことに

有形之陥穽、不過捕獣、無形之陥穽、足以害人。

形有るの陥穽は獣を捕らうるに過ぎざるも、形無きの陥穽は以て人を害うに足る。

目に見える落とし穴はケモノを捕らえるに過ぎないが、目に見えない落とし穴はニンゲンをダメにしてしまうものなのだ。清・鄭逸梅「逸梅叢談」より)

ニンゲンをダメにする「落とし穴」は、どこにあるのかさえ、わからないのである。

 

次へ