平成27年11月25日(水)  目次へ  前回に戻る

日暮れの前に帰りまちゅ。コドモだから。

寒くなってまいりました。

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天辺白雁写寒雲、 天辺の白雁は寒雲に写(えが)き、

鏡裏青鸞痩玉人。 鏡裏の青鸞は玉人を痩せしめたり。

秋風昨夜愁成陣。 秋風の昨夜より、愁いは陣を成しぬ。

 天の遠いところを白雁の群れが行き、(雁の列が)寒い雲の上に文字を描き出すこの季節。

 鏡の裏には青いつがいの鸞鳥(らんちょう)の絵があるが、美しいひとはその前で痩せこけていく。

秋風が昨夜吹いた。それからそのひとは愁いの陣に捉えられ、脱け出すことができないのだ。

おいらも痩せたいところですが・・・。

ところで、美しいひとはなんで愁えているのかな?

思君不見君、  君を思えども君を見ざれば、

緩歌独自開樽。 緩歌し独自(ひとり)樽を開きぬ。

 あなたを思うのにあなたはここにいないから、

 ゆるやかな歌をくちずさみながら、ひとりぽっちで酒樽を開いたのよ。

だそうです。ち、やっぱりおとこがいたか。

燈挑尽、  燈しびはかかげ尽くし、

酒半醺、  酒には半ば醺じぬ、

如此黄昏。 かくのごときの黄昏に。

明かりはだんだん消えていき、

お酒にちょっと酔っ払った。

そんな夕暮れどきなのさ。

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元・張可久「秋思・水仙子」(秋の思い、「水の仙女さま」の節で)

張可久は字・小山(あるいは字が可久で小山が号である、ともいう)、南宋末の浙江・寧波のひとで、元の至正年間(1341〜)まで生きていたらしい。元代に政治的に差別された「南人」(南宋の領域の出身者)で、地方の吏員を勤めたが志を得ず、江南各地を放浪して最後は杭州に棲んだという。上記の「水仙子」のような「小令」といわれる短編詩が現存855首あって、元代最多といわれ(ほかに長編の曲もあり)、作品は「風格あり、典雅にして清麗」と称される。

本日は寒いです。時雨もそぼそぼと降っております。が、明日はちょっとお出かけなので、明日は更新しない宣言。

ほんとですよ。

いつはりの無き世なりけり神無月たがまことよりしぐれそめけむ (藤原定家)

(うそいつわりの無い世では、恋に破れたひとの涙が神無月の時雨となるのだというけれど・・・)うそいつわりなど今の世にあるわけがないのだから、いま降っている神無月の時雨は、いったいだれの真心から降り始めたものなのだろうか。(実際にはうそいつわりばかりの世の中なのだ。あなたはわたしを愛していてくれなかったのだから・・・)

 

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