平成27年7月14日(火)  目次へ  前回に戻る

おいらとシゴトは本質的にケンエンの仲。

本質を忘れてはならない。

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唐の大暦年間(766年〜779年)のことでございますが、隴州の太守から奏上あり、

猫鼠同乳。

猫・鼠、乳を同じうす。

ネコとネズミが(おそらくネズミの母親が死んだので、ネコの母親から)いっしょに乳を飲むということがございました!

うわーい。

ネコとネズミが仲良く、ママのおっぱい、ちゅうちゅうちゅう。

みんな仲良しうれちいなー。

「これはすばらしいことである」

と宰相は

率百僚賀。

百僚を率いて賀す。

もろもろの役人たちとともに、皇帝に慶賀を申し上げた。

ところが崔祐甫はただひとり、

仁則仁矣。無乃失于性乎。

仁なるはすなわち仁なり。性においてはすなわち失うなきか。

確かに愛のなすことではございます。しかしながら、その本質を失ってしまってはいますまいか。

これを慶賀するようでは、臣たること、子たること、の本質を喪失したような者たちを褒めそやすことになりましょう。」

と上奏し、慶賀の列に加わらなかったということである。

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宋・銭易「南部新書」巻甲より。

おいらたち肝冷族は、本質的に大事なことをシゴトより優先してきたはずである。この本質を忘れてはならない。

 

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