平成27年4月29日(水)  目次へ  前回に戻る

ぶた航空で雲の上まで一っ飛び。

今日もいい天気でしたなあ。「昭和の日」なので、昭和の詩でも読んでみましょう。

・・・・・・・・・・・・・・

頃日、売旧蔵国富論、換漢籍。楽不少。

頃日、旧蔵の「国富論」を売りて漢籍に換う。楽しむこと少なからず。

ちかごろ、以前から所有していた「国富論」を売って漢文の本を買った。これはなかなか楽しい。

いう題の詩です。

蠹書聊得買、 蠹書(としょ)いささか買うことを得、

青帙散空牀。 青佚(せいちつ)、空牀に散ず。

むしくった本を少々買うことができた。

(ごろごろしながら読み散らかしていたので)青い背表紙の本が寝床に散らばっている。

誰知貧巷裡、 誰か知る、貧巷の裡(うち)、

亦有白雲郷。 また白雲の郷有らん、と。

 いったいどなたが御存知だろうか。貧しい路地の奥(にあるわしの家の中)に、

 一つの白雲の国がある、ということを。

「貧巷」「論語」雍也篇の有名なコトバ、

―――先生がおっしゃった、

賢哉回也。一箪食、一瓢飲、在陋巷。人不堪其憂、回也不改其楽。

賢なるかな、回や。一箪の食(し)、一瓢の飲、陋巷に在り。人、その憂いに堪えざるに、回やその楽しみを改めず。

「かしこいのう、顔回くんは。容器に一盛りの食べ物と、瓢に一杯の飲み物しかなく、路地の奥に暮らしている。みなさん、そんな生活はイヤだ、と思うものなのだが、顔回くんは@その生活を楽しんでいるのだ。Aその生活の中でも(道を求めるという学問を)楽しんでいるのだ。

を踏まえているものと思われます。「巷」という文字があれば、まずとにかくこれを踏まえている、と見てよいと思います。(なお、@とAは、どちらでも好きな方を選んでください。)

「白雲郷」蘇東坡

公昔騎龍白雲郷、 公、むかし龍に騎りて、白雲郷へ

手抉雲漢分天章。 手は雲漢を抉りて天章を分かつ。

 唐の韓愈さまは、むかし龍に乗って白雲の国に行き、

 その手で天の川をひっつかんで、空の模様を二つに分けた。(ぐらい想像力豊かであったのだ)

の語があり(「潮州の韓文公廟の碑」)、天帝のおわす「天界」あるいは「仙界」をいう。もとは、「荘子」天地篇

乗彼白雲、至於帝郷。

かの白雲に乗じ、帝郷に至らん。

あの白い雲に乗って、ふうわりふわりと、天帝の国に行こうではないか。

に基づくという。

―――ということで、作者は「わしのうちには漢文のオモシロい本がある=「白雲郷」である=仙人の世界なんじゃ」と言っているのである。

・・・・・・・・・・・・・・

この詩は、昭和十七年四月二十八日の日付があります。73年前の昨日の作品だということです。作者は河上肇先生。詩題中の「国富論」はアダム・スミス先生の「諸国民の富」の、原書(本人の日記によれば初版本)だそうです。これを奉職していた関西学院大学に寄附し、謝礼として七百円を受領したのだそうで、そのおカネで漢詩の本を買ってニヤニヤしていたらしい。前年夏に東京保護観察所に「左翼文献」を没収されてしまって、「身辺ことに寂寞」だったそうなので、新しい本はうれしかったのでしょう。なお先生は、エドガー=スノウの「中国の赤い星」の原書を読んでニヤニヤしていたこともあるそうですが、それは「漢籍」ではないのでこの時のことではないようです。

一海知義「河上肇詩注」(1977岩波新書)より。

 

表紙へ 次へ