平成27年4月22日(水)  目次へ  前回に戻る

パワハラの無い「どうぶつ鉄道KK」!

無断でしごとに行かなくなってもう三日。特に会社からはどうしたこうしたという連絡も無い。

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唐の元和十一年(816)秋に長安で科挙試験が催されたが、呂群という若者はこの試に落第した。嚢資も乏しくなって、四川の知り合いを頼って都落ちすることとした。

四川・眉州にて泊まった寺の壁に書いた詩。

その一

路行三蜀尽、 路は行きて三蜀尽き、

身及一陽生。 身は一陽の生ずるに及ぶ。

頼有残灯火、 頼る、残んの灯火の有りて

相依坐到明。 相依りて坐し、明に到るに。

 旅し来たって、ついに蜀の奥地までやってきた。

 今宵は一陽の生ずるという冬至の夜だ。

 孤独なわたしには消え残ったともしびだけが友だちで、

 互いに寄り添いあって、何するともなく暁を迎えるのである。

その二

社後辞巣燕、 社後、巣を辞するの燕、

霜前別蒂蓬。 霜前、蔕(へた)に別るるの蓬。

願為胡蝶夢、 願わくば胡蝶の夢を為して、

飛去覓関中。 飛び去りて関中を覓(もと)めん。

 秋祭りのあとでは、ツバメも巣から旅立っていく。

 霜の降りる前に、転蓬(てんぽう)の茎が根本から離れて、風に吹かれて転がって行く。

 わたしもまた願わくば、夢に胡蝶になって、

 飛び立って、はるかに長安のかなたに向かいたい。

「ぐすん・・・」

吟訖涙下。

吟じ訖りて涙下れり。

ここまで書きつけて、ぽろぽろと涙を流したのであった。

―――このように多情な青年なのだが、実はこの男、

性不容下。

性、下を容れず。

その性格上、目下の者に寛容でいられなかった。

目下の者にはずいぶん酷いことをして、中には死に至らしめた者も一二ではなくあったらしい。

僕馭怨之。

僕・馭これを怨めり。

下僕や車の御者は彼を怨んでいた。

このため、

未幾為其奴所殺。

いまだいくばくならずして、その奴の殺すところとなる。

その後しばらくもしないうちに、下人たちに殺されてしまったのだった。

寺に書いた詩が遺作となってしまったのである。

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宋・計有功「唐詩紀事」巻四十八より。

今日も消え残ったともしびだけを友だちに暮らすか。おいらはしごと行かないので、パワハラしないしされないよー。

 

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