平成27年4月20日(月)  目次へ  前回に戻る

「逃がしはせぬぞ、肝冷斎!」・・・・

夜道を歩いていたら、背後から突然

「おまえさん、肝冷斎ではないか?」

と訊かれた。わしは

「人違いでござろう」

と言いながら、振り向きざまに、懐からケムリ玉を出して「えい!」と地面に投げつける。

ぼわ〜〜ん!

白い煙があがった。

その煙にまぎれてわしは

「わははは、また会おうぞ」

と叫ぶと逃げてきました。

煙の向こうからは

「し、しまった、逃げおったか」「出会え、出会え」

と呼びあっている声が聞こえる。

ああ危なかった。あやうく見つかって会社に連れていかれるところでしたが、なんとか逃げおおせたのであった。

・・・・・・・・・・・・・・・

唐の詩人・劉禹錫によれば、道宣法師というひとは、たいへん厳しく戒律を守っておられた方であったそうである。

ある日、この法師がお寺の部屋におりましたところ、

震霹繞戸外不絶。

震霹戸外を繞りて絶せず。

カミナリがお寺の建物を囲むように次々と落ちてきて、いつまで経っても止まることがない。

ということが起こった。まるで部屋の中にいる法師を雷撃しようとして、その出てくるのを待っているように思われた。

法師曰く、

「わしは戒律を守って間違ったことをしたことがない。バチとしてカミナリに撃たれることがあるはずはないであろう。あるいは宿業によってカミナリに撃たれることになっているのなら、それはそれで仕方がないことじゃ。・・・だが、これはもしかしたら、

有蛟螭憑焉。

蛟螭(こうち)の憑る有らんか。

みずちに憑りつかれたのかも知れぬ。

天上で悪事を為した小竜(みずち)が地上に逃げると、カミナリが追いかけてこれを成敗するのだ、と言われる。あるいはその小竜(みずち)が法師に憑りついているので、カミナリがそれを撃たんとして、法師が戸外に出るのを待っているのではないか。

そこで

褫三衣於戸外。

三衣を褫(うば)いて戸外にす。

法師に僧衣を脱がせて、これを部屋の外に出した。

衣服に憑いているのではないかと思われたからである。

しかし、衣服を外に出しても、カミナリは止まなかった。

「う〜ん、衣服に憑りついていたわけではないのか・・・」

悩んだ法師がふと

視其十指、黒、有一点如油麻者、在右手小指之上。

その十指を視るに、黒く、一点の油麻の如きもの、右手小指の上に在り。

自分の十本の指をよくよく見てみると、黒い、油ゴマの粒のような小さな点が、右手の小指の上あたりにあるのであった。

「これは怪しいぞ」

そこでそうっと、

出於隔子孔中。

隔子の孔の中から出せり。

小指の先を、窓の孔からそっと出してみた。

どかーん!!!!!!

「うわー」

ああ、びっくりしました。

一震而失半指。

一震して半指を失う。

一瞬のうちに一発カミナリがそこへ落ちて、法師の小指の先は吹っ飛んでしまったのである。

黒点是蛟龍之蔵処也。

黒点はこれ蛟龍の蔵処たるなり。

黒い点が、みずちの隠れ場所だったのだ。

劉禹錫先生の解説――――

在龍亦已善求避地之所矣。

龍に在りてはまたすでに善く避地の所を求むなり。

龍の方から見てみたら、すばらしい避難場所を探したものである。

高僧の体内なんて、カミナリは高僧を打ち殺すわけにはいかないから、どうしても逡巡してしまうものだ。

しかし、

終不免。則一切分定豈可逃乎。

ついに免れず。すなわち一切分定のあに逃ぐるべけんや。

最終的には逃げ切れなかったのだ。やはりあらゆることには分相応ということと宿命というものがあり、そこから逃げることはできないのじゃなあ。

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と、唐・張読「宣室志」巻七に書いてあった。

なんとか今日のところは追手から逃れることができたわしじゃが、いずれは捕まってしまう、ということなのだろうか。むむむ・・・。

 

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