平成27年3月29日(日)  目次へ  前回に戻る

(ゆっくり眠れるのも今日までだ・・・)

また日曜日が終わってしまった。明日の朝にはまた来週がはじまる。

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漢の時代、斉(山東)の梁文というひとは、迷信家であった。その家には、神を祀るために、正面に四本の柱のある立派な祠があり、中には黒いとばりを巡らしてあって、その中にありがたい神様がおられるのだ、と信じ、毎日そのとばりの前で家族が集まってお祈りを捧げていた。

そんな日々が十数年続いていたが、ある日、いつものようにみなでお祈りしていると、

帳中忽有人語。自称高山君。

帳中に忽ち人語有り。自ら「高山君」と称す。

とばりの中から、突然、ニンゲンのコトバで語りかけてくるものがあった。自ら「自分は高山君である」と称した。

梁文も家人たちも大いに驚き、「高山君」を礼拝してその命令に従った。

高山君は、

大能飲食、治病有験。

大いによく飲食し、治病に験有り。

ものすごい量の飲み食いをするのであったが、病人のことを訊ねるとなかなか効果があった。

・・・こうして数年が過ぎました。

ある日、高山君は大いにお酒をきこしめされ、どうやらとばりの向こうでかなり酔っぱらっている様子であった。

梁文は一族の者を従えて酒食をとばりの閧ゥら差し入れながら、

乞得奉見顔色。

乞う、顔色を奉見するを得んことを。

「ぜひ一度、お顔を拝見したいものでございます」とお願いした。

高山君、

「ああ、そうか、顔をのう」

とかなりゴキゲンである。

「顔はのう、見せるわけにはいかんなあ」

「ぜひ」

「そうじゃなあ。ああ、ではこうしようかのう」

高山君は梁に

授手来。

手を授け来たれ。

「手を差しだすのじゃ」

とお告げになった。

文納手。

文、手を納(い)る。

梁文はとばりの閧ゥら手を入れた。

「よしよし、顔を触らせてやるぞ」

「ありがたきシアワセ」

と言いながら、梁は高山君の顔のあたりを探った。

捋其頤、髯鬚甚長。

その頤を捋(ひ)くに、髯・鬚はなはだ長し。

そのお顔を撫でてみたところ、頬のひげ、アゴのひげはたいへん長いようである。

「ふむ、ふむ、こうなっておられるのですな・・・」

と言いながら、

文漸繞手、卒然引之。

文、漸くに手を繞らせて、卒然としてこれを引く。

梁文はだんだんと手を突っ込み、そして突然、そのヒゲを摑んで、引っ張り出そうとした。

「申し訳ござらん、どうしても一度お顔を、見たいのでございますじゃ!」

そのとき、高山君はたいへん驚き、

「メエー!」

作羊声。

羊声を作す。

ヒツジのような声を出したのだ!

「なんだ、今の声は?」

座中驚起、助文引之。

座中驚起し、文を助けてこれを引く。

座っていた家人たちも驚いて立ち上がり、梁文に手を貸して高山君を引きずり出したのであった。

出てきたのは、

「メエ〜」

袁公路家羊也。

袁公路家の羊なり。

近所の袁公路の家で飼っていたヒツジであった。

首輪にきちんと「袁家」と刻み込まれていたのである。

さっそく袁家に問い合わせてみると、

失之七八年、不知所在。

これを失うこと七八年、所在を知らざるなり。

「七八年前に行方不明になって、どこに行ったかわからなくなっているのが一頭いる」

ということであった。

引きずりだされたあとはもうニンゲンのコトバを話すことは無かったが、とりあえず殺した。

殺之、乃絶。

これを殺せば、すなわち絶す。

殺したら、不思議なことはもう起こらなかった。

タタリも何も無く、梁家も袁家も平和に暮らしたということである。

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晋・干宝「捜神記」より。

途中までアーサー・C・クラーク「地球幼年期の終わり」を思い出しました(←わたしでさえ読んでいる!)が、関係者はその後平和に暮らせたみたいなので、よかったですね。ちなみに、おそらくこの高山君は「たかやまくん」ではなくて「こうざんくん」だと思いますので、明日会社で高山君に会ってもイジメてはいけませんよ。どちらにしても月曜日に大人しく会社に来るんだから、ヒツジのように飼いならされたやつでしょうけど。

 

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