平成26年8月18日(月)  目次へ  前回に戻る

ひと夏でこんがり焼けたでぶう。え? この海が一衣帯水・・・?

あと四日・・・。

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三国の時代、魏の文帝・曹丕は呉を攻めようとして広陵に至り、

望大江。

大江を望む。

巨大な長江の流れを目のあたりにした。

帝、

「おお!」

と感嘆して曰く、

彼有人兮、未可図也。

彼に人有り、いまだ図るべからず。

「この彼方にも人物はいるのであろう。たやすくは攻略できまい」

そしてまた、

見波浪洶湧、歎曰、嗟乎、固天所以限南北也。

波浪の洶湧するを見、歎じて曰く、「嗟乎(さこ)、もとより天の南北を限る所以なり」と。

長江の波が激しく湧きたつのを見て、またため息をついて言う、

「ああ、これこそは、いにしえより天がこの大地の北と南を区切るために設けた境界線なのであろう。

人間の力でこの境界線を変えることは至難のことである」

ここにおいて呉の攻略を断念して、兵を返した―――という。

降って長い南北朝の時代の終わりごろ、南の陳の国政は乱れていた。国政の乱れは、すなわち人民に転嫁されて彼らの苦しみとなるのがこの大地の常である。

華北を統一した隋の文帝・楊堅は大いに兵を発し、陳を攻めんとして、言うた。

豈可限一衣帯水、為民父母而不拯之乎。

あに一衣の帯水を限って、民の父母為りてこれを拯(すく)わざるあらんや。

長江の北と南は同じ衣のようなものである。そして長江は衣の上と下の間の帯のような細い線だ。われらは人民の父母として、彼らを苦しみから救い出そうとしているのに、その帯を境界線にして、向こう側の人民は救わなくてもよい、などということができようか。

そして、百万の軍勢を以て長江を渡らせ、またたく間に陳を制圧し、南北を統一したのであった。

さて―――

彼長江自若也。所以異者、繫乎人而已。

かの長江は自ずから若(しか)り。異なる所以のものは、人に繋るのみ。

あの長江は、以前もこのときも同じように流れている。どこが違ったかというと、南朝側の人間の質だけである。

心せねばならないことである。

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宋・李季可「松窗百説」より。

いま困難に見えることでも時間が経てば「な〜んだ」というぐらい容易いことになるのカモ知れません。しかし上の長江の例だと間にほぼ400年の時が流れております。かなりの時間が経たないと容易くはならないと思われますので、今日会社で

「これはダメだ!」

と絶望したことがあと四日以内に「な〜んだ」になるはずはないので、やはりもうダメだ。絶望だ。

ちなみに、後半の隋・文帝の言葉は「陳書」陳後主伝に出てくるコトバですが、「一衣帯水」というのはこのように「衣の上の帯程度の細い川」のことを言いますので、「我が国とチャイナは一衣帯水の国である」などという言い回しは、実はちょっとわけがわからないことになります。

本日はSE氏、MT氏、HR氏とともにおフランス料理。おいしうございました。会社は絶望ではあるがちょっとシアワセになった。

 

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