平成26年8月15日(金)  目次へ  前回に戻る

←これからは月も欠け、身も細るらむ。

今週もツラかった。しかもこれから秋に向けてどんどんツラくなるらしい。う〜ん。できないことさせようとすると、させた方にいずれはしっぺ返しが来るような気がしますよ。

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数か月前に高いカネ払って、籾山季才「明治詩話」(明治乙未刊。明治乙未歳は二十八年、西暦1895に当たる。日清戦争終わった年である)を買うてきた。しばらく放っておいてありましたが、近日になって現実逃避の一環として読み始めてみると意外にオモシロい(みなさんが感じる「オモシロい」とはちょっと違う感じですが)。お風呂を出て就寝前に読むのに適している感じである。

例えば・・・

湯川新清斎と号し、紀州・新宮のひとである。若くして津の斎藤拙堂、野田笛浦らの老学者たちに学び、

年僅弱冠為大塩後素所聘、監其家塾。

年わずかに弱冠にして、大塩後素の聘するところと為り、その家塾を監す。

まだ二十歳前後というころに、大阪の大塩平八郎に招かれてその私塾の学監となった。

ところが、

偶有議不合、蹶然還国。

たまたま議の合わざる有りて、蹶然として国に還れり。

大塩とあることで意見が合わず、座を蹴り飛ばすようにして塾を辞し、郷里に帰った。

郷里では新宮藩(紀州藩の支藩扱い)に藩儒として召し抱えられたが、

無幾後素叛乱、門下士多死之。人称其先見。

いくばくも無くして後素叛乱し、門下の士多くこれに死す。人その先見を称せり。

その後いくばくもないうちに大塩平八郎が叛乱を起こし、その塾生らはほとんどこれに参加したり巻き込まれて死んだから、ひとびとは「清斎先生には先見の明があったなあ」と称賛したものだ。

そうである。

その詩をいくつか紹介します。

玉井洞詩(玉井洞の詩)

秋峡水平舟可停、  秋峡の水は平らかにして舟停どまるべく、

菰蓬半捲坐玻璃。  菰蓬、半ば捲きて、玻璃に坐す。

汀辺乱石虎斑古、  汀辺の乱石には虎斑古く、

洞口湿雲龍気腥。  洞口の湿雲には龍気なまぐさし。

山有鹿麋須結侶、  山には鹿麋(ろくび)有りて侶を結ぶべく、

地無桃李亦成蹊。  地には桃李無きもまた蹊を成す。

熒然玉井潔於玉、  熒然として玉井は玉よりも潔(きよ)く、

一笑土人呼作泥。  一笑す、土人の呼びて泥と作すを。

 秋の峡谷は流れも穏やかで、船はその中で動きを止めてしまいそうだ。

 コモで作った簾を半分捲き上げて船端から見れば、まるでガラスの上に座っているようである。

 みぎわに転がった石は長い間そこに放り出されていると見えて、トラのようなまだら模様に苔が生しており、

 溪谷の入口には湿った雲霧が立ちこめていて、龍が棲んでいるかのようにイキモノの臭いがした。

 (蘇軾が山中に住んだら鹿や麋を友とすると言ったというが)両岸の山の中には、友情を結ぶべきシカやオオジカの類が棲んでいるであろう。

 (桃李は物言わざれど下、自ずから蹊を成す、というが)あたりには桃と李は無いけれど、おのずと小道が出来ている。

 きらきらとして、ここ玉井はホンモノの玉よりもきれいである。

 おかしなことにここらの土人どもは、この美しい場所のことを「泥」(ドロ)というのだけどね。

最後のところには、

土俗呼洞為泥。

土俗呼びて洞を「泥」と為す。

このあたりの方言では、両岸の狭まった溪谷(「洞」)のことを「泥」(ドロ)と呼ぶ。

という自註があります。「ドロ」は漢字を当てると、「瀞」(とろ)のこと。

この詩、

清冷可誦。聞玉井洞在南紀牟婁郡、頗為絶勝。

清冷誦すべし。聞くならく、玉井洞は南紀牟婁郡にありて、頗る絶勝たり、と。

すがすがしく涼しげで、くちずさみたくなる作品である。

ちなみに、聞くところによれば、「玉井洞」(たまいどろ)というのは紀州の牟婁郡にあって、ほかにはないすばらしい景色の地であるという。

熊野川の玉置口(たまきぐち)から上る「瀞八丁」(どろはっちょう)のことらしいが、詩の中で紀州の地元のやつらが「土人」といわれていて、苦笑してしまいますね。

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詠紙鳶 (紙鳶を詠む)  「タコ(空に揚げる方の)のうた」

吾骨可扶老、  吾が骨は老いを扶くべく、

吾膚可学書。  吾が膚は書を学ぶべし。

群児為玩具、  群児、玩具と為し、

抛却委泥淤。  抛却して泥淤(でいお)に委ぬ。

わしのホネは(竹なので)老人の杖ともなったはず。

わしのカワは(紙なので)文字の練習に使えたはず。

ところが何もわからんガキどもがわしをオモチャにしおって、

結局ドブの泥の中に抛り棄てて行きおったのじゃ!

この詩は

必要有寄托者。

必ず寄托有るを求むる者なり。

きっと何か喩えたいことがあって作られたものなのであろう。

といわれるものですが、わたし(肝冷斎)の状態がこれに似ているカモ。わたしも杖か紙ぐらいには使えたかも知れませんが、結局ドブに棄てられるのだー。だからいつも言っているようにドブに落ちる前に逃げ出さないと・・・。

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こんなのを深夜、たったひとりニヤニヤしながら読んでいるのである。オモシロいではありませんか。

なお、もうすぐコドモが生まれるというUKさん、KYさん、今日はテングに付き合って、いろいろ悩みごとを聞いていただきありがとうございました。

 

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