平成26年8月11日(月)  目次へ  前回に戻る

 

あと四日・・・無理だ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

明の時代のこと。

先生曰、為学大病在好名。

先生曰く、「学を為すの大病は名を好むに在り」。

先生がおっしゃった。「学問をするに当たっての最大のビョーキは、ひとからの名声を獲ようとすることにある」と。

うーん。

深く考えさせられる。うーん。うーん。

・・・深く考えた上で、わたくし(薛侃)はお訊ねした。

従前歳、自謂此病已軽。比来精察、乃知全未。豈必務外為人。唯聞誉而喜、聞毀而悶、即是此病発来。

前歳より自ら謂(おも)えらく此の病すでに軽し、と。比来精察するに、すなわち知る、すべていまだし。あに必ず外を務めて人の為にせんや。ただ誉れを聞きては喜び、毀つを聞きては悶ゆ、即ちこれこの病の発来せるか。

「去年あたりから、自分ではこの(名声を獲ようという)ビョーキは軽くなってきたかな、と思っておりました。しかし、最近よくよく思いみてわかったことには、実はまだ何も軽くなってはいなかったのだ!ということです。外面ばかり気にして、人に気に入られようとしているわけではありません。ただ、褒められればうれしいし、けなされれば苦しい思いになる。それだけのことなのですが、これこそこのビョーキの現れなのでしょうか?」

先生はおっしゃった。

最是。

最も是なり。

「まったくもって、そのとおり!」

「ははー!」

わたくしがうなだれておりますと、先生は教えてくださった。

「諦めるは必要はない。

名与実対、務実之心重一分、則務名之心軽一分。全是務実之心、即全無務名之心。

名は実と対し、実を務めるの心一分を重くすれば、すなわち名を務めるの心一分を軽くすなり。すべてこれ実を務めるの心ならば、即ちすべて名を務めるの心無からん。

「名声」というのは「実態」と対応する言葉である。実態をよくしようと努力する心が数グラム重くなれば、名声を求める心は数グラム軽くなるもの。心がすべて実態をよくしようと努力することでいっぱいになれば、名声を求める心はもうどこにも無くなるであろう。

若務実之心、如飢之求食、渇之求飲、安得更有工夫好名。

もし実を務めるの心、飢うるものの食を求め、渇くものの飲を求むるが如くならば、いずくんぞ更に名を好むの工夫有るを得んや。

もし実態をよくしようと努力する心が、飢えた者が食い物を求め、渇した者が飲み物を求めるのと同じようになるならば、どうしてさらに名声を求めようなどという行動をする余地があるだろうか」

と。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

わたくし(薛侃)は

多悔。

悔い多し。

くよくよしていることが多いタイプなんです。

今日もくよくよしていたので、それが目に見えたのであろうか、先生がおっしゃるには、

悔悟是去病之薬、以改之為貴。

悔悟はこれ病を去るの薬にして、以てこれを改むるに貴と為す。

「後悔して、どうすればよかったのかと考えることは、克服せねばならないビョーキを治す良薬であり、間違いを再度しないようにするためには尊重されるものである」

と。

しかし、

若留滞于中、則又因薬発病。

もし中に留滞せば、すなわちまた薬に因りて病を発するなり。

「もしもずっと「後悔」の中にとどまったままになるのなら、それは今度はクスリに中毒してビョーキになってしまうのと同じだ」

ともおっしゃった。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

そりゃそうかも。しかしくよくよしてしまうのがすでに一種のビョーキなんだから・・・。

以上、「伝習録」より第105条・106条。「先生」と出てくるのはもちろん王陽明先生薛侃は字・尚謙、中離先生と号す。広東の人で、成化二十二年(1486)の生まれ、王陽明に学び、正徳二年(1507)の進士、官は行人司司正(←どんなシゴトか見当が着きません)に至るという。嘉靖二十四年(1545)卒。

わたくし(←肝冷斎)は名声も実態も求めたりはしておりませんが、腹減ったりのどが渇いたりしてメシや飲み物を求めることはします。そして今は休みも欲しい。逃げ出したい。

 

表紙へ  次へ