平成26年7月27日(日)  目次へ  前回に戻る

←ほんとにこんな感じに・・・。

もうダメだ・・・。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

五代十国の時代、蜀の成都でのこと。

龍興観という道観(道教のお寺のことでっちゅ)に住む道士・唐洞卿は、

令童子以器盛羅蔔送杜天師光庭。

童子をして器を以て羅蔔(らふく)を盛りて、杜天使光庭に送らしむ。

お付きの童子を呼びつけまして、入れ物にだいこんを入れて、師匠の杜光庭先生のところに持って行かせた。

ちなみに、杜光庭先生については、この中から探してみてください。

道観の門の外に、ひとりの老道士がニコニコしながら座っておりました。

最近、江南の方から流れてきた道士で、もうずいぶんな年寄であるが、ひとの書く文字を見て、そのひとの吉凶をはじめいろんなことを占う、というので少し有名らしい。崔無斁という名前であったはず。

童子、その老道士の前を通ったとき、ちょっとイタズラ心が湧きました。

童子、老道士に問う。

「うっしっし。おまえちゃんの力を試ちてみましょう。おいらが地面に字を書きますから、この入れ物の中に何が入っているのか、当ててみてくだちゃい」

とはいえ、童子はそんなにたくさん字を知りません。

「えーと、えーと・・・」

と言いながら、

童子劃一此字。

童子、一の「此」字を劃(か)く。

童子は、地面に「此」(これ)という文字を書いた。

「ほほう、難しい字を知っておるのう」

崔老道士はニコニコしたまま、即座に

羅蔔爾。

羅蔔なるのみ。

「だいこんじゃな」

と答えた。

「むむう。なかなかやりまちゅね」

童子、とりあえずお使いに行きました。

帰りに、

拾一片損梳、置于器中。

一片の損梳(そんそ)を拾い、器中に置く。

一枚の壊れた櫛を拾い、これを空っぽになった入れ物の中に入れました。

そして戻ってくると、門前にまだ老道士がいる。

早速近づきまして、

「うっしっし。今度は何が入っているか、わかりまちゅか?」

老道士、ニコニコしながらいう、

劃字於地。

字を地に劃(か)け。

「地面に何か文字を書いてくれんかな」

童子、指前来此字。

童子、前来の「此」字を指さす。

童子は、さっき行きに書いて行った「此」の字が消えずに残っていたので、

「これでいいでちゅかな?」

と言いながらそれを指さした。

老道士、怒りもせずに、答えた。

梳爾。

梳なるのみ。

「櫛じゃな」

「むむう」

さて、唐洞卿は、使いに出した童子がなかなか帰って来ないので、どうしたのか、と門前まで出てきた。

そこで、童子が老道士と何やら話しているのを見かけた。

「これ、童子よ、そこで何をしているのか」

「あ、お師匠さま」

童子は唐洞卿のところに飛んできまして、「実はかくかくしかじかで・・・」と老道士の不思議な力を伝えた。

「ふむ・・・。よし、それではおまえはもう一度ご老人のところに行って、こう言ってみよ・・・」

とゴニョゴニョと命じられた童子、右手をぐっと握りしめたまま、老道士のところに戻ってまいりました。

そしていう、

「おいらがこの手の中に何を握っているか、当ててみてくだちゃい」

と言いながら、左手で以前に書いた「此」の字を指さした。

老道士、ぷ、と吹き出し笑いをしながら、また即座に答えた。

空拳爾。

空拳なるのみ。

「わはは、おまえさん、拳の中はからっぽ、何も握っておらんよ」

「うひゃー!」

そのとおりで、童子は右手に何も持っていなかったのである。

そこで唐洞卿、崔道士の前に進み出て、これを拝礼して曰く、

一字而射覆者三、皆不同。非有道詎能及此。

一字にして射覆するもの三、みな同じからず。有道にあらざればなんぞよくここに及ばん。

「同じ一つの文字を見て、「射覆」(隠されたものを当てること)して言いあてたのは三つ。だいこん、櫛、空っぽ、と全部違うものです。不思議なお力をお持ちで無ければ、どうしてこんなことができましょうか(、あなたはなんと不思議な力をお持ちになっていることか)」

と。

すると老道士、笑いながら答えて曰く、

皆是童子先言、非老夫能知爾。此字象羅蔔、亦象梳、亦象空拳。何有道耶。

みなこれ童子先言す、老夫のよく知るにあらざるのみ。「此」字、羅蔔に象(に)、また梳に象、また空拳に象(に)る。何ぞ有道ならんや。

「いやいや、すべてあの童子が、先に教えてくれたのでござるよ。この老人が自分で知ったというわけではござりませぬ。童子が最初に書いた「此」の字をよくよく見れば、その都度、「だいこん」にも見えてきますし、「櫛」にも見えてきますし、「からっぽ」にも見えてきます。ただそれだけのことで、不思議な力なんていうようなものはとてもとても」

「あいや、なるほど」

唐は大いに心服し、それからは師に対する礼を以て接した、ということである。

崔道士は、

毎観人書字、而知其休咎。能察隠伏逃亡、山蔵地秘、生期死限。千里之外骨肉安否、未嘗遺策。

人の書字を観るごとに、その休・咎を知る。よく隠伏・逃亡、山蔵・地秘、生期・死限を察す。千里の外の骨肉の安否もいまだかつて遺策せず。

人の書いた文字を見るだけで、そのひとの運勢、いい状態か悪い状態かを知ることができた。あるいはどこに隠れているのか、どこに逃亡したのか、山にいるのか地下にいるのか、生きているのか死んでしまったのか、を察知し、千里離れたところにいる親族について、今どうしているか、手紙を見るだけで予言して、一度も誤まったことは無かった。

やがてその能力は蜀の地に大いに知られ、

朝賢士庶、奉之如神明。

朝賢士庶、これを奉ずること神明の如し。

朝廷につかえる知識人も、町の読書人も一般人も、みんな崔道士を「神さまのようなお方」と敬愛するに至ったのであった。

そうです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

宋・黄休復「茅亭客語」巻二より。

こんな力を持っているひとが、いまのわしの書く文字を見たら、なんと判断することでしょうなあ。おそらくは目を伏せ、憐れむように頷いてくださるだけであろう・・・。

というぐらい弱ってきている肝冷斎です。明日、更新が無ければ、肝冷斎はいよいよ○○したのだ、と思ってくだされよ・・・。お。岡本全勝さんはもう戻ってきてイギリスのこと書いてるな。

 

表紙へ  次へ