平成26年4月4日(金)  目次へ  前回に戻る

 

本日は寒の戻りというやつらしく、寒かった。夜は白いモノがちらちらするので雪片かと思うほどであったが、風に捲かれた花びらであった。

むかしはこんな日でもハダカでいるやつがいたものである。

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黄安なる者は山西あたりのひとであったということだが、

年可八十余、視若童子。

年八十余ばかりなるも、視るに童子のごとし。

八十何歳かだとみえるのだが、よくよく見てみると童子のように見えてくるのであった。

わーい、童子どうし、おいらとお友だちになれるといいでちゅねー。

ところが、黄安ちゃんは、

常服朱砂、挙体皆赤、冬不着衣。

常に朱砂を服し、挙体みな赤く、冬も衣を着ず。

つねに固体の水銀を服用し、身体中が燃えるように赤く色づいていて、冬も服を着ないでいるのであった。

というかっこよさ。イカしてまちゅー。寒がりで冬は新聞紙を巻いて震えているおいらとは、同じ童子とは思えないほどでちゅ。

しかも

坐一大神亀。

一大神亀に坐す。

でかくて神秘的な亀に乗っていた。

アコガレの「亀乗り」でもあったのです。

時人問子坐此亀幾年。

時人、問うに「子、この亀に坐して幾年ぞ」と。

当時の人が黄安に質問した。

「あなたがこの亀に乗ってから、どれぐらいの年月が経っておられるのか」

と。

八十歳ぐらいに見える、ということですから、それぐらいかな、と思って訊いたのだと思いますが、さにあらず。

答えていうに、

「さて、何年になりますか・・・。

伏羲氏始造網罟、有此亀以授吾。亀背已平。

伏羲氏、始めて網罟を造るに、この亀を有して以て吾に授けたり。亀背すでに平らぐ。

人類の文明を開いた伏羲(ふっき)さまが、(水中のドウブツを捕まえるための)網とかワナを発明したときにこの亀を捕まえて、わたしにくれたのです。わたしが座っているうちに、亀の甲羅がすり減って平らになってしまいました。

こいつは、

畏日月之光、二千歳而一出頭。我坐此亀已来、五遇出頭矣。

日月の光を畏れ、二千歳に一出頭す。我のこの亀に坐してより已来、五たび頭を出だすに遇いたり。

太陽や月の光をいやがりましてな。ために、二千年に一回しか、甲羅の中から頭を出さないのです。わたしがこの亀に乗ってから、五回、こいつが頭を出すのに遭遇しております」

これによって、世のひとびとは黄安が一万歳であり、人類の文明も一万年である、と知った。

亀はなかなか動かなかったが、黄安の方には何か思うところがあったのであろう、ある時、

負亀而移。

亀を負いて移る。

亀を背負ってどこかに行ってしまった。

それ以降、その姿を見た者はいない。

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後漢・郭憲(字・子横)「洞冥記」より。この書物も「太平御覧」(巻931)等に引用されているだけで今は佚しております。

2000×5=1万(ただし、+−1999歳の誤差あり)だ、とコドモにもわかりますよね。黄安はそんな計算も他人にしてもらわないとできなかったのか? いずれにせよ今は1万2000歳近くなって、もっとカッコよくなっていることであろう。

 

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