平成26年3月28日(金)  目次へ  前回に戻る

 

・・・あれ? ここは・・・? どこだ? ・・・というか、わしはだれ? か・・・ん・・・れ・・・? だめだ、思い出せぬ。なにかしごとに追い詰められてさまよっているうちに、何もかもわからなくなってしまったような・・・。

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むかし、淮南の王は仙人になろうとし、

遍礼方士。

遍ねく方士に礼す。

あちこちの道士たちに礼を尽くして教えを乞うた。

そして

遂以八公相携倶去、莫知所在。

遂に八公を以て相携えて倶に去り、所在を知るなし。

やがて八人の同志たちとともにその行方をくらまし、どこに行ってしまったのか、もう誰にもわからない。

ああ。よかったですなあ。

さて、その臣下に淮南小山というひとがいた。

小山之徒、思恋不已、乃作南王歌焉。

小山の徒、思恋すること已まず、すなわち「南王歌」を作れり。

淮南小山たちは、いなくなった王をお慕いする気持ちが無くならず、「淮南王さまの歌」を作った、という。

ので、わたしも仙人になったに違いない淮南王を讃えようと、「南王歌」を歌おうとした。

しかし今となっては、淮南王の伝説と「南王歌」の名だけが伝わるのみで、歌そのものは忘れられ、思い出す人さえ無い。

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五代・馬縞「中華古今注」巻下より。

大切な歌も忘れられてしまうのだ。自分が誰であったか思い出せないけど、まあいいか。どうせ本来ニンゲンなんて、「ちち」「はは」とか「おじ」「おば」とか「友」と「敵」、「王」「臣」「民」など、関係性を示す呼称さえあれば足りるのであり、固有名の必要性など無いのであろうし。

 

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