平成26年3月24日(月)  目次へ  前回に戻る

 

やっぱり月曜日はあきまへん。

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どれぐらいあきまへんかと言いますと、

熊羆咆我東、  熊・羆(ゆう・ひ)、我が東に咆え、

虎豹号我西。  虎・豹、我が西に号(さけ)ぶ。

我後鬼長嘯、  我が後ろに鬼は長嘯し、

我前猱又啼。  我が前に猱もまた啼けり。

天寒昏無日、  天寒く昏くして日無く、

山遠道路迷。  山遠く道路に迷えり。

 クマとヒグマがおいらの東の方で咆えている。

 トラとヒョウはおいらの西で叫んでいる。

 おいらの背後では山の精霊がひゅううと長く口笛を吹き、

 おいらの前方ではおサルもきいきい啼いている。

 空は寒く、暗く、太陽は見えない。

 山中に遠く入り込んで、おいらは道に迷ってしまったのだ・・・。

これは困りましたよ。この閉塞感は、まるでロシア、チャイナ、北・南、そしてアメリカに取り囲まれたどこぞの国の状況みたいだ。杜甫・古詩「石龕」より。

杜甫一家は乾元二年(759)秋、食べ物を求めて甘粛の秦州から同谷へ移動しますが、その途中に作ったらしい。杜甫四十八歳(数え)で、実に多くの佳作を遺した時期である。

ちなみに「石龕」詩は、この後、

わたしは車に乗ってこの石室(「石龕」)の下まで来たが、

その途中、十一月の虹(←冬の虹は不吉のしるしという)を見た。

山中の竹林では誰かが竹を伐採している。

悲しい歌をうたいながら、雲つくような高い梯子に昇っているのである。

お役人にいわれてすぐれた矢になるような竹枝を採って、

天宝十四年(755)以来の五年間、毎年山東・河南の軍隊に供出してきた。

そのひとはしかしうなだれて言うのだ、「まっすぐな幹の竹はもう採りつくしたので、

これ以上、軍士の手元の需要に応じることはできそうにない」と。

どういうことだ? 北京あたりの反乱異民族どもめが、

竹林を鳴らす風のように颯颯と人民どもを怖がらせているとは!

と続きます。宴席で歌ううたでも無いが、一人で無聊を慰めるためのうたでもない。おそらく、書写されてジャーナリスティックに流通することを想定したものではないか、と思われます。

 

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