平成26年3月22日(土)  目次へ  前回に戻る

 

ちょっと風邪ひいたかも。寒さに弱い老人ですじゃでのう。寒いのでみかん食いながら本でも読んで寝ます。今日は国際紛争について勉強しますかな。

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チュウゴク古代の伝説のひと、魯般は神のように高い技術を持った工匠であったが、一説によれば敦煌のひとであったという。

経緯まではわかりませんが、

呉人殺其父。

呉人その父を殺す。

長江下流域の呉の民におやじを殺された。

ので、呉の民を大いに憎み、はるか西北、チュウゴクと西域の境にある粛州の町で、

城南作一木仙人、手指呉地。

城南に一木仙人の手、呉地を指さすを作る。

町の南に、木製の仙人の像を建てた。その際、仙人の手が遠く呉の地をさすようにセットした。

すると、

呉地大旱三年。

呉地、大いに旱すること、三年。

呉の地では、たいへんな日照りになってしまい、それが三年も続いたのであった。

さて、呉の民たちは大いに困じ果て、占いを以て原因を探ることにした。

神のごとき明察を謳われた占者があって、

―――原因ははるか西北にあり。

般所為也。

般の為すところなり。

「般」のせいである。

と答えを出した。

そこで呉の民は使者を遣わすこととし、使者は磁針を頼りに遥かに西北の地を尋ね、ついに粛州に至って、住民に「般」というモノに心当たりはないか訊ね、魯般を探し当てたのである。

魯般、まさか呉人がその原因を探り当てるとは思いもしなかったが、占いに拠って探り当てたことを知って、

「呉にもたいへんな能力者がいるのであるから、侮ることはできない」

と思い知り、また呉人は

齎物謝之。

物を齎してこれに謝す。

魯般の父を殺したことについて、厚く物品を献上して詫びた。

そこで魯般は呉人と和解し、

為断其手。

ためにその手を断つ。

和解のため、仙人の木像の手を切り取った。

呉の使者は郷里に帰ってみて、まさに魯般が仙人の腕を折り取った

其月呉中地大雨。

その月、呉中の地、大いに雨ふれり。

その月に、呉の地では大いに雨が降り、日照りを脱したのである。

ということを知った。

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宋・趙道一編「歴世真仙体道通鑑」巻十より。

進行中の「臺灣の春」と、そのはるか西北・ウクライナの混乱、とは、どういう関係になっているのかな?どこかで何かがつながっているような気もしますが・・・。

 

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