平成26年3月11日(火)  目次へ  前回に戻る

 

大震災から今日で三年。直接被災したわけではないわたしにも、万感去来するものがあります。黙祷。

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・・・さて、気をとりなおしまして、今日の講話。

肥満していると思わぬところで批判されることがあります。

魯の定公の四年、というと周の敬王の十四年(紀元前506)に当たりますが、この年の冬、楚からの亡命者である伍子胥に補佐された呉王・闔閭は、唐・蔡の諸侯を率いて楚に攻め込み、楚昭王は都を棄てて、随に逃亡した―――。

楚の臣に申包胥(しんほうしょ)という者があった。

初、伍員与申包胥友、其亡也、謂申包胥曰、我必復楚国。

初め、伍員と申包胥と友なり、その亡するや、申包胥に謂いて曰く、「我、必ず楚国を復せん」と。

この「復」は「覆」の仮借、「くつがえす」の意。

かつて伍子胥と申包胥は親しい友であった。伍子胥が亡命を余儀無くされたとき、彼は申包胥に対して、「おれは必ずこの楚の国を覆してやる」と言った。

申包胥はうなずき、答えて言うに、

勉之。子能復之、我必能興之。

これを勉めよや。子よくこれを復さば、我かならずよくこれを興さん。

「その意気でがんばってくれ。いつかおまえが楚を覆したならば、おれが必ず楚を再興してやろう」

と。そして、逃亡する友をただ一人見送ったのである。

さて、楚の王都が陥落するや、申包胥は王と別れてただちに秦に向かい、秦公に対して援軍を派遣せんことを乞うた。

秦の哀公は楚の地が遠く、かつこれまで何度か対立してきた相手であることから、援軍の派遣に積極的ではなかった。

「わしは重臣たちと相談したい。あなたはしばらく館に宿泊して、お待ちいただきたい」

申包胥は言を烈しくして言うた、

寡君越在草莽、未獲所伏。下臣何敢即安。

寡君、越えて草莽に在りて、いまだ伏するところを獲ず。下臣何ぞあえて安に即かんや。

「わたしの主君は、国境を越えて草むらに逃げ込んでおり、いまだ寝るところも無い状態です。その配下のやつがれが、どうして安らかな場に寝ることができましょうぞ!」

立依于庭墻而哭、日夜不絶声、勺飲不入口七日。

立ちて庭墻に依りて哭し、日夜声を絶たず、勺飲も口に入れざること七日なり。

王宮の中庭の垣によりかかって立ったまま、昼も夜も泣き声をあげ続け、七日の間、ひしゃく一杯の水も口に入れずにいた。

おなか減った・・・でしょうね。

七日にして、秦公、ついに臣下を集め、申包胥を指して曰く、

「あそこに社稷の臣がいる。たとえ楚のために戦うべきでは無くとも、彼のために戦わないわけにはいくまい」

と。そして秦公は、秦に伝わる古いいくさ歌「無衣」「詩経」秦風所収)を歌った。

王于興師、  王ここに師を興せば、

修我戈矛、  我が戈・矛を修め、

与子同仇。  子と仇を同じうせん。

  (周の)王さまが不義を撃つためのいくさを興そうというなら、

  われらもわれらの戈や矛、その他の武具を修繕し、

  (王さまとともに)あなたと同じ(不義なる)敵と闘おう。 

申包胥はこれを聞き、

九頓首而坐。

九頓首して坐す。

九回、頭を地面にまで打ちつける深い礼をすると、崩れるように座り込んだ。

かくて

秦師乃出。

秦師すなわち出づ。

秦軍はついに出征したのである。

・・・・・・・・その後、紆余曲折してついに楚は国祚を取り戻すことになるのですが、それはまた別のときにお話いたしましょう。

さて、上記ののところで、申包胥が秦に援軍を依頼するときに、聞き捨てならないことを言っているのであります。

呉為封豕長蛇、以荐食上国、虐始于楚。

呉は封豕・長蛇(ほうし・ちょうだ)たり、以て荐(しきり)に上国を食し、虐は楚に始まる。

呉のやつらは、「巨大なブタ」あるいは「長い大蛇」のような貪欲なやつらでございます。しきりに他の立派な国を浸蝕しようとし、まずは楚から始めたのでございます。

我が楚の都は陥落し、楚王は亡命を余儀なくされております。秦公よ、どうかこの危急をお救いください。呉が楚の地をすべて略取してしまう前にただちに兵を出していただきたい。

若楚之遂亡、君之土也。若以君霊撫之、世以事君。

もし楚の遂に亡ぶるも、君の土なり。もし君の霊(さいわい)を以てこれを撫すれば、世を以て君に事(つか)えん。

もし援軍が間に合わずに、楚が滅亡したとしましても、占領した土地は秦の領土になりましょう。もし公の仁徳によりまして我が国を援けてくださるならば、これから何世代にもわたって、楚は秦の臣下となりまする!

―――と言った、というのだ。

実に怪しからん。強く抗議したい。

封豕長蛇、と、「巨大なブタ」と「長い大蛇」をともに「貪欲なモノ」の例にしているのです。大蛇はともかく、ブタは貪欲なのではなく、「食べずにはおれない」だけなのである。食べないで済むならブタになんかならないのに・・・。

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「春秋左氏伝」定公四年・冬条より。強い抗議にも関わらず、「封豕長蛇」(ほうし・ちょうだ)はその後も「貪欲・非道な者」の喩えにされてしまっております。

例えば、杜甫「有感」一

幽薊余蛇豕、  幽・薊(かい)には蛇豕(だ・し)を余し、

乾坤尚虎狼。  乾坤にはなお虎狼あり。

 幽州・薊州(現在のペキンあたり)の地は、ヘビやブタのような貪欲・非道な、安禄山の乱の残党どもがまだ根拠としているというし、

 「乾」なる天と「坤」なる地の間には、ほかにもトラやオオカミのような群盗や蛮族が満ち満ちていると聞く。

など。かわいいブタをヘビやトラやオオカミと同様に扱うとは・・・。(なお「封豨脩蛇」(ほうき・しゅうだ)ともいいますので、念のため。)

・・・・・・今日もこんなくだらない内容ですが、生きてメシ食って更新ができてしあわせである。

 

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