平成26年1月10日(金)  目次へ  前回に戻る

 

今日はおなかが痛いので療所に行ったら、「ノロウィルス」による胃腸風邪であろうとのこと。

せっかくノロウィルスが体におりますので、沖縄の神女(ノロ)の話題をいたします。

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むかしむかしのことにございます。

浦添郡城間(ぐすくま)邑(今の浦添市城間の交差点から海側に集落があったらしい)の沖で、

有羽地祝女者、自那覇坐船帰郷、行到洋中、陟遭逆風、擱破船隻。

羽地祝女(はねじ・のろ)なる者有りて、那覇より船に坐して帰郷するに、行きて洋中に到るに、陟(にわ)かに逆風に遭い、船隻を擱破せり。

名護の北の羽地(はにじ)の神女(のろ)が、那覇から船で羽地に戻ろうとして大洋の中を舟行していたとき、突然逆巻きの風に遭遇してしまい、風に船体をつかまれ、破壊されてしまった。

船は沈み、

祝女溺死。

祝女溺死す。

羽地ノロはぶくぶくと沈んで溺れ死んでしまったのであった。

ノロの溺死したという伝説は、伊平屋にもあります。伊平屋では「永良部のノロ」が遭難したという。より北から来た神女が波に呑まれた、という点で浦添城間の事件と等しい。どこか南海のひとびとの心に響くものがあるのでしょう。

近処之人深哀恤之、収其死骨、葬之于古重嶽。

近処のひと、深くをこれを哀恤して、その死骨を収め、これを古重嶽に葬る。

城間あたりのひとたちはノロを襲った悲劇を憐れみ、その亡骸を海から拾い上げて、これを葬り、その場所を「古重御嶽」(ふるえうたき)として祀ることにした。

このウタキに祀られている

神名曰羽地郡筑用加那志。

神名、羽地郡筑用加那志(はねじこおり・ちくよう・がなし)と曰う。

神のみ名は、ハニジコイチキョウガナシと申し上げる。

至于後日屢見霊感、無祷不応、遂為崇信而祈祷焉。

後日に至るもしばしば霊感を見(あら)わし、禱りて応ぜざること無く、遂に崇信して祈祷せり。

後々までも、この神はしばしば御霊験あらたかであられ、お祈りしたら願いが適わないことが無い、というほど。とうとうみな崇めて信仰したのであった。

はい、これでおしまい。

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鄭秉哲等「遺老説伝」巻二より。

在沖縄時代にはこのウタキを探したんですが、とうとうよう見つけなんだ。

 

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