平成25年12月23日(月)  目次へ  前回に戻る

 

本日は天長節でした。おめでたいです。

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明日からマジメに稗史小説の類を読むことにしまして、今日までは休みだったので昨日までの惰性にて、「礼記」「儒行」第四十一より、「儒者の行動指針」をいくつか。

(五)儒有、委之以貨財、淹之以楽好、見利不汚其義。劫之以衆、沮之以兵、見死不更其守。贄虫攫搏不程勇者、引重鼎不程其力、往者不悔、来者不予。

過言不再、流言不極、不断其威、不習其謀。其特立有如此者。

儒には、これに委ぬるに貨財を以てし、これを淹(ひた)すに楽好を以てするも、利を見てその義を汚さざる有り。これを劫(おびや)かすに衆を以てし、これを沮むに兵を以てするも、死を見れどもその守を更(か)えず。贄虫(しちゅう)の攫(さら)い搏(う)つにも勇者なるを程せず、重鼎を引くにもその力を程せず、往くものは悔いず、来たるものは予めせず。

過言は再びせず、流言は極めず、その威を断ぜず、その謀を習わず。その特立することかくの如きもの有り。

儒者というのは、これに財産をほしいままにさせ、これを心地よい音楽に浸らせても、それでも利益があるからといって正義を枉げることはしないものだ。これを多数で寄ってたかって強制しようとしても、武器を示して行く手を阻んでも、その考えをかえさせることはできない。猛獣や猛禽のたぐいが攻撃してきても勇者のような振舞いをせず、重い青銅器の鼎を引っ張る際にも力が強いことを見せようとはしない。去っていくものを後悔して追いかけたりはしないし、これから来るものを予期してニヤニヤしたりもしない。

間違ったことは(言ってしまうこともあるが)二度とは言わない。流言を(耳にすることはあっても)根掘り葉掘り訊ねたりはしない。その威厳を緩めることなく、陰謀には関与しない。

儒者が孤高を守るのはこのようなものである。

「贄虫」の「贄」(し)は猛禽類をいう言葉。「虫」は「虎」や「蛇」など、人間に対して強暴な力を持つドウブツ一般を言う。

(六)儒有、可親而不可劫也、可近而不可迫也、可殺而不可辱也。其居処不淫、其飲食不溽、其過失可微弁而不可面数也。其剛毅有如此也。

儒には、親しむべきも劫かすべからず、近づくべきも迫るべからず、殺すべきも辱しむるべからざる有り。その居処は淫りならず、その飲食は溽せず、その過失は微弁すべきも面数すべからず。その剛毅なることかくの如き有り。

儒者というのは、親しむことはできるが脅かして強制することはできない。近づいて友とはなれるが強迫して何かをさせることはできない。いっそ殺してしまうことはできるが、屈辱を味あわせることはできないものだ。

彼の暮らしぶりを乱すことはできないし、彼の飲食を濃厚なものにしることもできぬ。彼に過失があれば、それを少々指摘することはできるが、面と向かって批判することはできない

儒者の剛毅なること、このようなものなのである。

ただし、「面数できない」(面と向かって批判できない)、というのは、おかしいのではないか、批判は受けつけるべきではないか。よってこの語は聖人・孔子のほんとうに言ったことばではないであろう、という批判があります。

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あと九項目あるのですが、疲れてきましたので、ここまで。ほんとに知りたい人は例の講話にでも来てもらわないと・・・。

 

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