平成25年12月22日(日)  目次へ  前回に戻る

 

冬至は今日だったみたいですね。風呂屋に行ったらゆず湯になってました。

明日も休みなのでうれしいね。

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せっかくなので、「礼記」「儒行」第四十一よりいくつか読みます。

(二)儒有衣冠中、動作慎。其大譲如慢、小譲如偽、大則如威、小則如愧。其難進而易退也、粥粥若無能也。其容貌有如此者。

儒には衣冠の中、動作の慎み有り。それ、大譲は慢なるが如く、小譲は偽れるが如く、大なれば威あるが如く、小なれば愧じるが如し。それ、進むに難くして退くに易く、粥粥として能無きがごとし。その容貌にはかくの如きもの有り。

儒者というのは、衣服と冠り物はきちんとしていなければならぬし、行動には慎重さが求められる。

大いに謙譲を示すべきときには、動きが緩慢に見えるほどへりくだるし、こまごまと謙譲を示すべきときには、あざといと思われるぐらいに振る舞わねばならんのじゃ。

態度が大きいときには威張っているようであるし、態度が小さいときは恥じ入ってしまっているようであらねばならぬ。

人前や上位に進むときには非常に進みがたいようにし、後ろや下位に退くときにはたやすくホイホイと引き下がるもの。

弱弱しくて無能なようす。

儒者の外見というのはこういうものじゃ。

(三)儒有居処斉難、其坐起恭敬、言必先信、行必中正。道途不争険易之利、冬夏不争陰陽之和。愛其死以有待也、養其身以有為也。其備予有如此者。

儒には、居処には斉難なるがごとく、その座起には恭敬にして、言には必ず信を先にし、行には必ず中正なる有り。道途に険易(けんい)の利を争わず、冬夏に陰陽の和を争わず。その死を愛して以て待つ有り、その身を養いて以て為す有り。その備えの予めかくの如きもの有り。

儒者というのは、ふだんじっとしているときにも悲壮で困難に向きあっているように、また座ったり立ったりのときには恭しく相手を敬わねばならず、ことばを発するときは必ず実現できることだけを言い、行動に当たっては中庸と正義を忘れることはない、ということを求められる。

道を歩いているときでも、他人とどちら側を歩くのが歩きやすい、あるいは歩きにくい、と言って争うことはなく、また冬には日当たりのいいところを、夏には日陰を求めて人と暑い・寒いの争いをしない。

死ぬことも避けることなく事の起こるのを待っており、一方で心身の健康を保っていざというときに備えている。何かが起こるのにあらかじめ備えている、という点ではほかに並ぶ者が無い。

(四)儒有不宝金玉、而忠信以為宝。不祈土地、立義以為土地。不祈多積、多文以為富。難得而易禄也、易禄而難畜也。

儒には、金玉を宝とせず、忠信以て宝と為す有り。土地を祈らず、立義を以て土地と為す。多積を祈らず、多文を以て富と為す。得難くして禄し易く、禄し易くして畜(たくわ)えがたきなり。

儒者というのは、黄金や玉を宝物として大切にすることはない。真心と誠実さを以て宝物とするのである。

土地を手に入れることを祈らず、義を立てることを土地を入手したことのように考えるものだ。多く積財しようとはしないが、多くの文章を読み書きすることが財産だと思っている。

このような人たちはなかなか部下にすることが難しい。ただしなかなか難しいものの、給与を与えればその分のしごとはする。給与を与えてしごとをさせることはできるが、彼らを自分のまわりにプールしておくのは難しい。

非時不見、不亦難得乎。非義不合、不亦難畜乎。先労而後禄、不亦易禄乎。其近人有如此者。

時にあらずしては見(まみ)えず、また得難からずや。義にあらずしては合わず、また畜(やしな)い難からずや。まず労して後に禄さば、また禄しやすからずや。それ、近人かくの如きものあり。

必要な時にしか面会に来ないから、その行動を把握しているのは難しい。正義に合致していないと納得しないから、雇い続けていることは困難である。しかし、先に働かせておいて後で給与を支払えばいいのだから、給与は与えやすいのだ。儒者が社会とともにあろうとするのは、これほどなのである。

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以上。まだまだ続きますが、眠くなってきたので終わり。

 

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