平成25年12月14日(土)  目次へ  前回に戻る

 

北日本は暴風雪だそうですよ。こちらも寒い。寒いしシンシンと頭も痛いので、お家にずっといてコドモになっているしかないでちゅう。・・・お。お隣さんはこの寒いのに家族でお出かけか。クリスマスの準備の買い出しか、それとも千葉のネズミ王国にでも行くのかも。くちょー、ネズミはほんとうはいいヤツではないのにー。

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ネズミは悪いやつの喩えにもされます(「詩経」魏風「碩鼠」など)。そのネズミにも劣る、というのはすごい悪いやつということになります。

相鼠有皮、人而無儀。人而無儀、不死何為。

鼠を相(み)るに皮有るも、人にして儀無きあり。人にして儀無きは、死せざるも何をか為さん。

ネズミを見れば、どんなネズミにも皮がある。ところが人間のくせに威儀の無いやつがいる。人間のくせに威儀の無いやつは、死んでしまえばいい。死なないでいて、何をしようというのやら。

これはヘイトスピーチというやつですね。

なお、「相鼠」の「相」、普通は「見る」という動詞で解していますが、「これは相州に棲息するネズミのことだ」という少数説(おそらくトンデモ説)があるので付記しておきます。

これで一連が終わり。あと二連、ほとんど同じフレーズが続きます。

相鼠有歯、人而無止。人而無止、不死何俟。

鼠を相(み)るに歯有るも、人にして止無きあり。人にして止無きは、死せざるも何をか俟(ま)たん。

ネズミを見れば、どんなネズミにも歯がある。ところが人間のくせに礼節の無いやつがいる。人間のくせに礼節の無いやつは、死んでしまえばいい。死なないでいて、何を待とうというのやら。

相鼠有体、人而無礼。人而無礼、胡不遄死。

鼠を相(み)るに体有るも、人にして礼無きあり。人にして礼無きは、なんぞ遄(すみや)かに死せざる。

ネズミを見れば、どんなネズミにも身体がある。ところが人間のくせに礼儀の無いやつがいる。人間のくせに礼儀の無いやつは、死んでしまえばいい。どうして速く死なないのやら。

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ひどいですねー。「詩経」鄘風より「相鼠」

さて。

ここでネズミ以下、とされ、速く死ね、と言われている相手はなにものでしょうか?

1 夫である。

後漢・班固の「白虎通」に曰く、

妻諌夫也。

妻の夫を諌むるなり。

この詩は、栄辱をともにする妻が、あんまりに夫が情けないので諌めたものである。

これはもと「魯詩」の説であるという。

2 衛の文公である。

「毛詩」にいう、

刺無礼也。衛文公能正其群臣、而刺在位、承先君之化、無礼儀也。

無礼を刺すなり。衛の文公はよくその群臣を正すも、在位の先君の化を承けて礼儀無きを刺すなり。

礼節が緩んでいるのを批判した詩である。衛の文公(在位前659〜前635)は衛の中興の名主で、蛮族に攻められて崩壊した家臣団をまとめ直した人物だが、その位にあった時代は、宣公(在位前718〜前700)以来の風紀の弛緩の影響を受けて、なお礼節が緩んでいた。そのことを批判したのである。

と。

3 衛の君臣をはじめとした封建統治階級である。

在周代、統治階級定了一套礼、用来欺騙。・・・人民看透了他們的欺騙性、忍不住満腔怒火、大胆地詛呪他們、詛呪他們為什麼不快死。

周代に在っては統治階級はワンセットの「礼」という決まりを定め、それを用いて人民を欺瞞に陥らせようとしていた。・・・しかし、人民はかれらの欺瞞性を見透かしており、腹いっぱいに溜まった怒りの炎を抑えきることができず、大胆にもかれらを呪詛し、かれら統治階級がなぜはやく死なないのか、と呪うたのである。

這種大無畏的反抗精神、在那時候是很不容易的。

このような何物をも恐れぬ反抗精神は、それ以降の時代においてもなかなか理解されるものではなかった。

ので、民国以前の研究者たちにはここまで言い切ることはできなかったのである。・・・と、程俊英・蒋見元「詩経注析」(1987中華書局 上p143)に書いてあった。

――――みなさんはどれにしますか・・・・・・・・?

科挙試験を受ける必要も、社会主義に忠誠を誓う必要も無い自由なコドモであるおいらは、断然「1」ですね。ただし、そんなに道徳的な意味は無い、と思います。

頭のいい人は自分の知っている歴史的事実と結び付けないとなかなか安心できないみたいで、どの註釈を見ても「2」が引かれているのですが、この詩はどう読んでも純粋なコドモのココロには、チャイナ古代の遊歴芸人(我が国上代のいわゆる「ほかいびと」)が、秋の村落の祭などでネズミのだんなとその奥さんの扮装をして、おそらく卑猥な所作を含んだ踊りをまじえながらお道化て歌っていたとしか読めません。それ以外にどういう人たちがどういう顏をして上のような単純きわまりないバカみたいな歌を歌うのか、おいらには想像ができないのでっちゅ。まさか、みなさんは衛の国の知識人や革命的人民大衆が「マジメな顏」をして歌っていた、と想像できたりする?

 

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