平成25年12月7日(土)  目次へ  前回に戻る

 

こちらが本来の肝冷斎の姿でちゅよ。

それにしても寒いですね。今日はスーパー銭湯の受付の人とか食堂の人とかコンビニの店員と短い会話をした。

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短いが緊張感溢れる会話につきまして。

問。両鏡相向、那箇最明。

問う。両鏡あい向かうに、那箇(なこ)か最も明らかなる。

質問。「二つの鏡を向い合せに置きます。(お互いの中にお互いを映して無限に包摂しあうわけですが)どちらの鏡の方が明るいのでしょうか。

え?

な、なんと答えればいいのでしょうか。

師云。闍梨眼皮、蓋須弥山。

師云う。闍梨(じゃり)が眼皮、須弥山を蓋(おお)う。

回答。「おまえのまぶたは、巨大なシュメールの山さえ覆ってしまっているみたいだぞ」

「闍梨」は「阿闍梨」(あじゃり)の略で、梵語の「仏道修行者」。ここでは質問してきた若い僧侶への二人称である。シュメール山は世界の中央にあるという高山で、ヒマラヤ山地のことでもあるという。

この会話は、質問と回答のそれぞれの裏の意味を理解しなければならないらしい。

質問。「今、わたしとあなたの二人が向かい合っています。(どちらにも「仏性」が具わっているはずで、本質的には優劣は無いはずですが、)どちらがすぐれているのでしょうか」

回答。「たわけ。おまえは無明に覆われて、(巨大な「仏性」はもちろん、)わしの偉大ささえまだ理解できとらんようじゃ」

ということらしいのです。(370則)

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問。高峻難上時如何。

問う。高峻にして上り難き時は如何。

質問。「(目指すところが)高く、けわしくて上りつらいときは、どうしたらいいのでしょうか」

師云。老僧不向高峰頂。

師云う、老僧は高峰頂に向かわず。

回答。「わしは高い峰のいただきには向かわないけどなあ」

―――目指すところはそんなに難しいところではない。人間性の赴くところ容易く至れるのだ。

というのか、

目指すところは孤峰のいただきではなく人間たちのひしめく十字街頭にある。

というのか。どちらでもいいのか。(373則)

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一方、

問。高峻難上時如何。

問う。高峻にして上り難き時は如何。

質問。「(目指すところが)高く、けわしくて上りつらいときは、どうしたらいいのでしょうか」

ここまではさっきとまったく同じ質問。

師云。老僧自住峰頂。

師云う、老僧、峰頂に自住す。

回答。「わしはもうその峰のいただきにおるぞ」

今回はたやすく到着しているらしい。

云、争奈曹溪路側何。

云う、曹溪の路の側(そばだ)つを争奈何(いかん)せん。

再質問。「唐のはじめごろに六祖慧能が住したという曹溪の道(←禅の修行の道を喩える)は崖続きです。どうしたらいいのか・・・」

云、曹溪是悪。

云う、曹溪はこれ悪し。

再回答。「曹溪を通って行くのか。あの道は悪い道だからな」

云、今時為什麼不到。

云う、今時、什麼(なに)と為(し)てか到らざる。

再々質問。「どうしてわたしは今このときもたどりつけないのでしょうか」

師云、是渠高峻。

師云う、これ、渠(かれ)が高峻なるなり。

再々回答。「そこだ、そこが高くけわしいのだ」

なんじゃ? 

「たどりつけない」と思っているのでたどりつけないのだ、ということなのかな?(420則)

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禅問答には一休さんの頓智のように必ず「一つの答え」がある、ということはすごい誤りであるようですから、みんなこれらの問答をヒントにしながら自分で苦しんで答えに到らねばならないらしいのですわ。

ちなみに今日の三則はすべて趙州従諗(ちょうしゅう・じゅうしん)の「趙州語録」より。趙州従諗は唐末の乱世の中、舌頭三寸に教えを説き、「口脣皮上に光を放つ」と評された大禅師でありますが、なによりも唐の大暦十三年(778)に生まれて乾寧四年(897)に示寂したというので、120歳です。これがすごい。この間亡くなった川上さんでもかないません。わしらも川上さんという高くけわしい山の・・・麓まで・・・の見えるあたりまで・・・だけでも目指してがんばろう。

 

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