平成25年12月5日(木)  目次へ  前回に戻る

 

まだ明日も会社。もうだめだ・・・。このままでは悪くなるばかり、悪くなるばかり。どうして帰ろうとしないのか・・・。

・・・・・・・・・・・・・・・・・

まずは次の詩を読んでください。

式微式微、胡不帰。      式(も)って微なり、式って微なり、なんぞ帰らざる。

微君之故、胡為乎中露。   君の故微(な)かりせば、なんぞ中露を為さんや。

このままでは悪くなるばかり、悪くなるばかり、どうして帰ろうとしないのか?

あなたのことが無かったら、どうして露に濡れて旅路の中にいましょうか。

「露」は「路」の仮借なり、ということであるからほんとうは「露に濡れて」は不要ですがフンイキ的に訳出してみた。

式微式微、胡不帰。      式って微なり、式って微なり、なんぞ帰らざる。

微君之躬、胡為乎泥中。   君の躬微かりせば、なんぞ泥中を為さんや。

 このままでは悪くなるばかり、悪くなりばかり、どうして帰ろうとしないのか?

 あなたのすがたが無かったら、どうして泥だらけの旅路の中にいましょうか。

「泥中」は「衛の国の地名である」という説もありますが、「泥中は中路のごときなり」という「詩経疏」の解釈に従う。そうすると「泥だらけの」は不要になりますが、これもフンイキ的に訳してみた。以上、「詩経」邶風「式微」篇

ちゃーて、ちゃてちゃて。この詩はどういう状況を歌っているのでしょうか。

@   衛公のムスメで黎の国の荘公のもとに嫁いだ黎荘夫人という方がおられた。しかし夫となるべき荘公はほかに寵愛するところがあり、嫁いできても夫婦としての交わりはなかった。夫人のお付きの老女は、夫人がたいへん賢女であるのに夫に気に入られないのを見て、

憐其失意、又恐其已見遣而不以時去、謂夫人。

その失意を憐み、またそのすでに見(あ)いて、時を以てせずして去らしめらるるを恐れて、夫人に謂えり。

黎荘夫人のがっかりしているのを憐れみ、また、その後男女として結ばれても、そのうち厭きられて追い出されるかも知れないのを不憫に思い、夫人に言った。

すなわち、

夫婦之道、有義則合、無義則去。今不得意、胡不去乎。式微式微、胡不帰。

夫婦の道は、義あればすなわち合し、義無ければすなわち去る。今、意を得ず、なんぞ去らざるや。式って微、式って微、なんぞ帰らざる。

「夫婦の関係というのは、(親子や君臣とか違い)お互いが尊重しあえるなら一つになり、尊重しあえないなら別れるもの。今、おくさまはあの方とうまくいっていません。どうして実家に帰ってしまわないのですか。(歌を歌いて曰く)このままでは悪くなるばかり、悪くなるばかり、どうして帰ろうとしないのか?」

黎荘夫人答えて曰く、

夫婦之道、一而已矣。彼雖不吾以、吾何可以離於婦道乎。微君之故、胡為乎中路。

夫婦の道、一なるのみ。彼吾を以てせずといえども、吾何ぞ以て婦道を離るるべけんや。君の故微かりせばなんぞ中路を為さんや。

「夫婦の関係に二種類あるとは思いません。女は夫に従うべきという一種類があるだけです。あのひとがわたしを物の数にしないとしても、どうしてわたしが女性のあるべき姿を離れることができましょうか。(歌を歌いて曰く)あなたのことが無かったら、どうして露に濡れて旅路の中にいましょうか。」

すなわち、この「式微」のうたは、黎荘夫人の失意の歌なのである。

A    このままでは悪くなるばかり、悪くなるばかり、というのは

憂禍相絆。隔以巌山、室家分散。

憂・禍あい絆(つな)がる。隔つに厳山を以てし、室家分散すなり。

心配事や災禍が連続して起こっているのである。夫婦が険しい岩山に隔てられて分散しているようなつらい状況を歌っているのだ。

要するに夫婦の仲が思わしくないことをうたう歌なのである。

B   黎のとのさま(黎侯)は夷狄に攻められて国を棄て、衛の国に臣下ともども身を寄せていた。衛は居所として二つの町を与えたので、黎侯はその状況に安んじてしまっていた。そこで、

可以帰而不帰、故其臣勧之。

以て帰るべくして帰らず、故にその臣、これを勧むるなり。

帰国できるようになっても還ろうとしない。そこで、臣下たちが帰国を勧めて歌ったうたなのだ。

・・・・・・・・・・・・・

以上の@〜Bから選ばねばならないとしたらどれを選びますか。ちなみに@は「烈女伝」が拠る魯の国に伝えられた詩経の学問(「魯詩」)の説。Aは「易林」が拠る斉の国に伝えられた詩経の学問(「斉詩」)の説。Bは「毛氏」の伝える説。

漢代の通説は@なので漢の時代の学官に取り立てられようとするひとは@を採用しなければなりません。しかし唐代以降は毛氏の伝えた詩経しか残らなかったので、科挙試験を受けるひとはBを採らねばなりません。

ただ、「式微」の本文をどれだけ読んでも@やBの依拠する歴史的伝説が読み取れないので、C近人(←現代のひと、の意)余冠英(「詩経選」)や程俊英・蒋見元(「詩経注析」)らは、

這是苦於労役的人所発的怨声。このうたは、労役に苦しむ人の発した怨みの声である。

這是人民苦於労役、対君主発出的怨詞。このうたは人民が労役に苦しみ、君主に対して発出した怨みの言葉である。

と解しております。

社会主義国家だとCで答えないと怒られるのかも。しかしよくよくじいっと見ていると、自由人のまなこからは

D   歌垣における男女間の掛け合いの歌詞

にも

E   プロットの忘れられた何等かの神聖演劇における、コーラスと旅にある主人公の間の掛け合いの歌詞

にも読めてきたりしませんかな。

 

表紙へ  次へ