平成25年9月28日(土)  目次へ  前回に戻る

 

うっしっし。土曜日ですからね。樹木の中から出てきました。肝冷斎です。

ああ明日も休日。しあわせだなあ。

・・・と思っていたら、電話が! なになに? 明日しごとが入って出勤しないといけないってえ?

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殷某というひと、江陰の生まれで、清の乾隆癸丑年、といいますから西暦だと1793年の科挙に合格した進士さま。嘉慶年間(1796〜1820)の初めごろ、湖南のあたりで知事になった。

ちょうどそのころは「教匪」の勢いが猖獗をきわめていたころである。(「教匪」とは白蓮教徒のこと。乾隆末年から叛乱を起こしていた。その長い叛乱によって清朝は疲弊し、アヘン戦争や太平天国の乱に対処できなくなった、といわれる)

殷某の治めていた地に、王大王二というおそらく兄弟か従兄弟にあたるのであろう二人の兵卒がいたが、この二人が

為教匪所扳害。

教匪の扳害(はんがい)するところと為る。

白蓮教徒の叛徒たちから彼らをおとしめる言いがかりをつけられていた。

「扳」(ハン)は「ひきあげる」「よじる」という意味ですが、「扳害」と熟すると、「言いがかりをつけて害する」というような意味です。この場合は、反乱側から「王大、王二はわれわれのスパイだ」という噂を流されていたらしい。

殷某は

未分曲直、竟殺之、以為功。

いまだ曲直を分ぜざるについにこれを殺し、以て功と為す。

事実関係の審議もせずに二人を殺してしまい、それを「反乱軍の手先を討ち取った」と称して自分の手柄として報告したのであった。

・・・そのようなことがあって数年の後、殷某は親族の喪に服して休職したが、喪が明けて順天府知事に任ぜられて任地に赴いた。

任地において、ある日、殷知事は

忽発痰疾、持刀欲殺。

忽ち痰疾を発し、刀を持ちて殺さんと欲す。

「痰疾」というのは痰がからまる肺の病気だということです。とりあえず「ぜんそく」の発作のことであろう。

突然、呼吸困難に陥った上、刀を持ちだしてきて、「王大と王二が来ている!」と言いながら、まわりの人を殺そうとしはじめたのであった。

そして、その日から、

王大、王二、日日作閙。

王大、王二、日々に閙(どう)を作せり。

毎日毎日、王大と王二(のマボロシ?)がやってきて、殷某を大いに騒がせるようになった。

殷某はそのたびに叫び声をあげながら刀を振りまわすので、

家人輩恐傷人、以錫刀換去鉄者。

家人輩、人を傷つけんことを恐れて、錫刀を以て鉄のものに換え去る。

家のものたちは、人を傷つけないようにと、鉄の刀を錫の刀に取り換えておいた。

殷某はその錫の刀で、

将窗櫺乱斫、皆為之断。

窗櫺(そうれい)を将いて乱れ斫(き)り、みなこれがために断ず。

窓枠に次々に切りつけ、このために窓枠はすべて折られてしまった。

「櫺」は「れんじ」。

はじめはそんな状態になるのは一日の間の決まった時間だけで、あとは大人しかったが、やがて一日中叫び声をあげては刀を振りまわすようになり、数月して

卒狂死。

ついに狂死す。

とうとう狂い死にしてしまった。

という。

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頭来た! この殷某さんみたいに狂い死にしそうなぐらい頭来たー! 明日野球のチケット2試合分買ってあるのだぞー。

ぎ・・・ぎぎ・・・ぎぎぎ・・・ひ・・・ひひ・・・ひひひ・・・ひいっひっひっひー、会社のやつら、××してやるー!

ちなみに上のお話は清・銭泳「履園叢話」巻十五より。

 

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